15、6歳というのは、女の子にとって最も多感な時期でもありました。もっと綺麗になりたいとか、恋をしてみたいとか……、そんな賛沢なことについて、私には考えられませんでしたが、せめて友達がほしいと心から思いました。学校では、蒋悔の名前を使わざるを得ませんでした。しかし、アルバイト元のコンビ二では、勝手に自分が帰国子女だとウソをついて、「佐藤真由美」と名乗りました。佐藤は?番よくある苗字のひとつで、「真由美」は、中国人なら誰でも知っている邦画 『憤怒の河を渡れ』の中、中野良子が演じていたヒロインの名前です。私も生まれ変わることが出来るなら、こういう綺麗な日本人の女性になりたいなと思ったからです。その頃、日本語も徐々に話せるようになり、私は日本人のマネをすることに夢中でした。
日本人と同じように大学受験して、慶応大学の総合政策学部に入学しました。大学に入ってから、初めて中国から来た留学生たちに出会いました。実は、それまで、私の周りに、両親を除いて、中国人はほとんどいなかったのです。
留学生のパ?ティに行って、みんなでどんちゃん騒ぎをして、本当に楽しかったです。ようやく中国にいた頃の自分に戻ったような気がしました。その楽しさというのは、何も隠すことなく、言葉の不自由もなく、コンブレツタスがないまま、本当に心底から楽しくて、もう何年も味わうことが出来なかった解放感に満ちあふれました。私の血管に中国人の血が流れているんだと、久々に実感しました。面白いことに、大学時代というのは、日本人から中国人に戻る作業をしていだのです。
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