1988年6月4日、わたくしは?本のギターを背負い、?枚の5千円札をポケットに成田空港に降り立ちました。そして日本語をゼロから習い。学費と生活費を稼ぐため皿洗いや道路工事などあらゆる肉体労働に従事しました。
1990年には念願の大生に入りましたが、経済学や経営学が留学生に圧倒的な人気を誇っていた甲で。わたくしは日本文学を選びました。その後は修士課程まで森鴎外を研究する?方、力ルチヤ?センターで漢詩や歌を教え音楽活動を再開し、音楽と文学を通して多くの日本人と深。友情を結んだのです。
さてわたくしが詩を愛してやまないのは。詩が苦難に満ちた時代、希望をうち粋かれた無数の少年とわたくしを支え、不幸な運命を乗り越える勇気を与えくれたからです。漢詩とあまり関連がないと思われる上海を書きつづけるのは、どんなに歳月が流れていっても故郷は忘れ難く、幼い時から見慣れた准海路の街燈や人々の希望に輝く瞳が今もなおわたくしの心にぬくもりを佳いでいるからです。こういった詩と故郷への愛が底流となってこそ、わたくしの音楽が成り立っているのです。その上。16圧にわたり日本で学び受けたさまざまな影響がメロヂィに彩りをつけていることも言うまでもありません (ちなみにわ、たくしは今秋。8年ぶりCDアルバムを出す予定です)。
これからも、わたくしは詩、音楽、歴史を通して、中国の真の魂をもっと多くの万々にお伝えするつもりです。微力ながら。祖国と日本の民間交流に新たな一ベージを添えることができたら幸いに思います。最後に、この企画を提供し、あただかく励ましてくださった在京霞女史に感謝し、これまでわたくしを支えてくださった日本の友人に真摯な愛と感謝を申し上げます。中国、日本、アジアにほんとうの平和、幸福、栄光が遠がらぬ明日におとずれてくるよう心より祈ります。
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