初めて日本の土を踏んで以来、16年の月日が経ちました。今でも、「どうして日本に来たのですか」という質問に、わたくし1ぽ悩まされているのです。
一昨年と昨年、わたくしは唐詩と詩人たちの生きざまを尋ねつつ、歴史の変遷を2冊の著書に記しました。今年は日中友好新聞で T上海の百年』と題する連載を執筆し、自分を育てた故郷の姿を写し出そうとしているところです。読者から激励の言葉をもらう?方、
「漢詩と上海は、あまり関連がないように思われますが、どうして夢中になって探究しているのですか」
「歌を創ったり、うたったりする時はどんな心境ですか」
という質問にもぶつかっているのです。
いずれも、一言では答えられないものですが、わたくしは、大学や市民講座で中国史や中国文学の講義を受け持ち、かたわら音楽活動を続けている限り、これらの質問を避けることはとうていできません。
わたくしは、10歳から20歳までという、最も多感な年代を「文化大革命」の中で過ごしていました。画家だった両親はそれぞれ農村へ下放されたため、わたくしは生まれてまもなく祖母に預けられ。二人だけの寂しいが、平穏な暮らしを始めたわけです。
祖母は編み物や刺繍の名人で、服飾や壁掛けなどの大ヒット作品を世に送りつづけました。上海の各女優たちをモデルに、祖母が書いたファッション書も飛ぶように全国で売れ。ついには冊年代の初期に人民政府から「国宝」の称号までもらいました。
だが文化大革命はすての価値観を覆しました。それまでの栄誉と。自分の手で築いた富は「罪」に塗り替えられ、祖母は財産を奪われたうえ、毎日のように闘争大会へ引きずり出され、暴行をふるわれるようになっだのです。
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