私は故国中国で大学の講師をしておりましたが、1992年に恵まれた職場を離れ、日本へ・の留学という川の流れに飛び込む意を固めます。日本政府国費留学生として来日、慶応大学人学院商学部を修了しました。
今振り返ってみると、留学の道を歩み始めた当初)私は大学講師から貧乏な留学生になることで、気持ちは大変複雑でした。言葉もわからず、お金もなく、知り合いもいない"アジアの経済大国日本に着いた時、過去の栄光など何もかもがゼロとなり。全くの未開拓の地に自分の人生を?から描き始めることとなったからです。しかし、「背水の陣」の気持ちで、私はこの留学を絶対に無駄にしないと決意を固くしました。
もちろん、楽ではない口々でした。言葉を習い始め。生活を維持するため気持ちを切り替えで。肉体労働のアルバイトをしながら、少しずつ知り合いや友人が増え、日本に対する理解も本の知識に頼ることなく、様々な日本人の視点が理解できるようになってきました。やがて、私は日本社会の仕組み、社会保障制度。経済の実態、また日本人から見た中国など。多くの研究価値のあるテーマが私の頭に浮かんできました。
それと同時に?積極的に社会活動にも参加して、自分のお付き合いする方を一般の方々をはじめ、政治家、経済人。文化人などにも広げてゆきました。そして。彼らとの交流の中で感じたことは、多くの日本人は本当の中国を理解していないこと、そして、多くの中国人も日本を理解していないということです。この相互の 「理解度」を向上させることに、少しでも尽力できるなら。私が日本に来た価値があると考え始めました。私の思いは、互いに理解をしないうちに批判し合うのはやめて欲しいということです。まず、理解して後に判断をして、ときに批判をすることが必要でしょう。現在の順番は、まず批判が先に来る。これば本末転倒というものです。
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