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相原茂教授(撮影・林崇珍) | 私が学生の頃は、中国語をやっていますというと、変わり者扱いされたものである。なにしろまだ中国とは国交も回復していなかった。
それが今は「先見の明があったね」などと言われる。こんな時代になるとは想像もしなかった。もちろん私に先見の明があったわけではない。単に漢字で表される文字列に心惹かれるものがあっただけだ。漢文や中国の古典に得体の知れない郷愁を覚えたというぐらいの動機だ。しかし、中国語を学ぶのにこれよりも強い動機があろうか。
つい先日、高校で中国語を教えている人と話をした。今年は70人ほどが中国語クラスを希望し、フランス語希望はゼロ。このアンバランスを調整するのに大変だったとのこと。どうやら高校生でも、これから発展する中国を意識しているようだ。
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日本では、各種の中国語を教える学校が増えてきている。東京の中国語専門学校である「日中学院」もその一つだ。(写真提供・李鐘) | 勢いのある中国、経済的にも重要度を増しつつある中国。彼らの将来に、中国という国とその言語は何らかの関わりをもつようになるのではと予測しているのだろう。
だが、かつては中国語の学習者というと、日中友好の理想に燃えていたり、中国の文化に憧れていたり、ともかく中国に心が傾いていた。精神的に何か惹かれるところがあった。少年の頃の私がそうであったように。それが今はないのではないか。全くないとは言わないが、希薄になってきている。
実は学習者は、大学ではそんなに増えてはいない。横ばいか、やや減少傾向にある。これは大学が、必ずしも第二外国語を必須としなくなったこととも関わる。どうやら増えているのは社会人、つまりビジネスマンではないか。これは仕事の必要から手を染めざるを得ない人々だ。やむにやまれずの、まあ仕事みたいなものである。だから、中国語学習者が増えているといっても、そう手放しで喜んでよい情況とは思えない。精神的なものから、実利的なものへ変わっている。
ーー「人民中国」2005年7月号より
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