それは2001年の大晦日の夜,ガーナ旅行の途中のことでしだ。年越しのご馳走を自分にふるまおうと思い、私は地元のある中華料理店に立ち寄りました。偶々店のマスターは北京人でした。私の経歴をきくと、マスターは自分の台湾の友人にこう言いました:「わしは海外で十数年間も滞在し、外国人旅行者を星の数ほどみてきた。しかし中国人の自費旅行者に出会ったのは、今日が初めてだ。わし自身は金儲けしか知らない志のない奴だが、彼のような同郷人を誇りに思う。」
そうです!まさにこの誇りのため、私は1994年以来忙中閑ありで世界を歩いてきたのでした。大多数の国が未だ中国人に対して玄関を十分に開けていない今だからこそ、私は、敢えて中国人の身分をもってこれらの国の玄関を叩こうとしたのでした。
マリにいた時、当地の伝染病にがかり?人で宿のべツドで高熱と闘っていました。そんな時。眼を閉じて "たとえ自分が死んでいっても・写真集は必ず出版され、人々も自分の行動を理解してくれるだろうし)娘も自分のことを誇りに思うに違いない"と考えました。
喜ばしいことに、私の努ガは世間に認められましだ。近年、ソニーや富士フイルム、日本航空などの企業から援助をいただいて。中国大使館や日中友好協会、中国人民対外友好協会などの協力を得て東京と北京で 「世界遺産写真展」を数回開きました。さらに・2004年。私の作品10点が中国美術館に所蔵されました。私は謹んでこれらすべてを自分に対する激励と見て、これからも更に適進していくつもりです。
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