私は中国敦煌で生まれました。中国人のなかには敦煌という街がどの位置にあるのか知らない人もまだまだいます。そして、敦煌と聞くとまず荒涼、述部というイメージを持つ人がますが、私はその敦煌で生まれ、育ったことを誇りに思っています。その広大で、一望できないゴビ灘はあなたの心を広げてくれるのです。風によって、無数の変化を持つ嶋抄山はあなたの想像力を豊かにさせてくれます。特に"世界の文化宝庫"と称される莫高窟の美しく、生き生きとした塑像と高い芸術価値を持つロマンティックな色彩で描かれた壁画はまるですぐにでも降りてきて、あなたと一緒に数千年前の物語を語り合えるようです。私はその地に数えきれない程足を踏み入れたのですが、行くたびに感動させられ、改めて目分の表現力の乏しさを感じます。
70年代中期、中国各地であいついで外事弁公室と旅游局が設置されました。私もその時に現地の旅游局に入った一人です。私の夢は故郷の美しい文化と悠久の歴史を多くの外国人に紹介することです。後に私は大学に入り、日本語を専攻しました。卒業後、旅行社に入り、日本語ガイドの仕事を始めたのです。
1989年留学のために来日。大学で1年間勉強をして、日本のある旅行会社に入りました。
以前、私はよくこう思いました。旅行業の仕事は無形産業,?生野力しても、何も形として残らないのではないか、と。しかし、最近考え方を変えました。私を通じて、多くの方々が中国のこどを知ることができました。お客さまに紹介できるようになるには、目分も絶えず勉強をしなければなりません。その繰り返しの中で、私は知識を増やすとともに経験も積みました。また、著名作家の井上靖先生や画家の平山郁夫先生を含む、各方面の先生方と出会うことができました。これは私の無形財産だと思っています。
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