その後、私は主に、日中関係、中国現代史、中国の政治。社会といったものを専門にして日本で研究活動をしました。1991年には岩波書店から「毛沢東の朝鮮戦争」という本を出させていただき、その本で日本の賞をいくつか受賞して・その本の内容を中心に博士論文という形で学習院の博士号も取得しました。1992年-に大学の専任となってからは、助教授。教授という形で、その後ずっと大学の教師としてやってまいりました。
大学教員になるまでの過程から見ると、他の留学生と比べて、特に変わった経歴というのは、私にはなかったのですけれども、ただ、学究の道に入ったのち、テレビや新聞、セミナーで、中国問題をめぐって日本やアメリカ。台湾の一部の学者。評論家と討論したり、ディベ?いしたりという経験では、比較的ユニークなところもあっだのかなと思っています。
日本のテレビには特に1997年ごろの出演が多かったです。ちょうどトウ小平さんが死去したころで、中国はこれからどこへ向かうのかと。日本の中でも色々な心配、懸念の声がありました。私は出演しては、ポストトウ小平においても中国の改革。開放路線はもばや変わらないという点を繰り返し主張しました」。
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