北京南部の瑠璃廠大通りにある「宝晋斎」は、元の名前が「宝晋斎南紙舗」で、主に中国南部で生産される数多くの名紙を販売していました。たとえば、安徽省の宣紙(書画の用紙)、浙江省の元書紙(習字用の紙の一種)と唐紙(竹の繊維で作った習字用紙)、四川の川連紙、対方紙と国画紙(水墨画の用紙)、福建省の連史紙と玉扣紙、それに広東、湖南などで生産された名紙を主にしていました。その後、書画の用紙のほか、端硯、湖筆、徽墨と墨つぼなどの文房具まで経営の範囲が広がり、中でも「端硯」が人気を呼ぶようになりました。
ところで、端硯は中国の伝統的な文房具の中で、実用性と鑑賞性を兼ね備えたことで有名です。端硯は石造のものですが、玉石のようにきめ細かくて、水が沁み込みにくいことから、擦った墨が乾きにくく、つやが出るとされています。しかも、端硯を使って墨を擦ると、音が聞こえないどころか、息を硯に一息吐いて凝結した水滴だけで墨を擦ることができるという説もあります。硯を造る職人は、石材の天然の模様に合わせて、山水、人物と動物などの図案を刻み付けます。
端硯の貴重さに関する伝説があります。唐代、寒い冬の時期に科挙の試験が京城で行われ、多くの受験生が地方から上京して科挙に参加しました。その日は特に寒く、受験生たちが墨を擦って文書を書こうとすると、墨汁がすぐに凍ってしまいました。しかし、広東から来たある受験生が端硯を使って擦った墨汁は全然凍りませんでした。主任試験官はここれを目にして、不思議に思い、直ちに皇帝に報告しました。皇帝はみずから端硯で擦った墨汁で書いてみたところ、筆の運びが確かに流暢になったと感じました。その後、端硯は世に知られ、貢ぎ物に選定されました。
端硯は原産地が広東の肇慶で、肇慶はかつて端州と呼ばれていたことから、端硯の名を得ました。端硯を作るための石は少なく、しかもそれを採取することがかなり難しいことから、唐代の詩人である李賀の詩に、「端州石工巧如神、踏天磨刀割紫雲」と詠まれています。
端硯の貴重さは石材の特有な模様とも関係があり、青花、蕉葉白、氷紋、金銀線と石眼などがよく見られる模様です。端硯にはこれまで1300年以上の歴史があり、多くの文人や学者、書道家、それに画家などが愛好されています。
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