北京南部の瑠璃廠大通りでは、「戴月軒湖筆徽墨店」が唯一、人の名前を店名に付けた老舗です。元の名前は「戴月軒筆墨庄」でしたが、その後「戴月軒筆舗」と変わりました。その看板は、清朝の翰林(唐代以後に設けられた、皇帝の文学侍従官)であった徐世昌氏の題字によるものです。この老舗は、「湖筆」という筆を製造、販売することで知られています。
ところで、浙江省の天興県で作られた筆は、質が高くとても有名です。かつて天興県が湖州の管轄下にあったことから、天興県で作られた筆は「湖筆」と名づけられました。湖筆は、用途と原料によって、羊亳(羊の毛)、紫亳(ウサギの毛)、狼亳(イタチの尻尾の毛)、兼亳(前の三者を混ぜた毛)など、大きく四つに分類され、その下でまた250以上の種類に分けられます。羊亳は一番柔らかく、紫亳は一番硬く、狼亳は鋭く丈夫で、兼亳は柔らかさと硬さを共に備えています。
湖筆に使われる毛は、「穎」という、透き通ったように見える頭の部分がカギになります。一本の湖筆を作るには、70以上の工程が必要で、いずれも厳しい条件を満たさなければなりません。湖筆は、外見も品質もすばらしく、鋭く整然とした崩れにくい穂先、それに筆の運びの柔らかさと力強さを出しやすい筆として知られています。戴月軒氏が作った湖筆は、特に優れたもので、文人墨客、画家学士に好まれています。
戴月軒氏は、「湖筆」の産地である浙江省の湖州出身で、名前は斌で月軒は彼の号です。幼い頃に上京した戴月軒氏は、賀蓮青湖の筆店で見習いをしていました。彼は骨身を惜しまず研究して、たった数年間で筆を作るコツを習得し、一人前の職人になる前から人に知られるようになりました。1916年、戴月軒氏は、瑠璃廠で自分の名前を店名にした筆の工房を設けました。店舗で販売する湖筆に使われる材料は、浙江省の湖州から調達しただけでなく、戴月軒氏がみずから筆作りを工夫し、その高い質を保っていました。
1959年、戴月軒氏は85歳で亡くなりましたが、秘伝を授かった弟子の鄭存宗氏が、引き続き「戴月軒筆店」で筆作りをしてきました。その後、「戴月軒筆店」は一時営業を停止しましたが、1985年に営業を再開し、湖筆を中心に他の文房具も販売しています。(翻訳:姜平)
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