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中国料理の発展歴史(その九)
   2005-05-18 15:33:23    cri

袁牧という人が書いた『随園食単』という書に:「調理の達者たる者、醤油をひかえめに使い、甘からを先にたしかめる。油はゴマ油を使うが、生であるかどうかを確かめる。酒は釀造酒を使うが糟を取り除く、お醋は陳醋を使い、さわやかなものを使う。醤油には薄いもの濃いものの区別あり、油には植物油と動物油の区別あり、酒には甘いものとすっぱいものの区別あり、お醋も新陳の区別あり、どれ一つ油断は許されない。ネギ、ショーが、砂糖、塩などは使う量は少ないが、すべて上等なものを選ぶべき」といい、また「調味料の使用は、料理するものによって、酒、水ともにしようする場合、酒だけで水を使わない場合、水だけで酒を使わない場合、塩と醤油を一緒に使う場合、塩だけの場合、醤油だけの場合と区別し、なまぐさいものは醋をふりかけること、鮮味を保つには水砂糖を使うこと店……」と書いてあります。この一例からも、清朝の料理づくりがいかに凝っていたかが伺い知れましょう。

また、清代の理論家李漁も、「閑情偶寄」:ひまにまかせてつづるとでもいいましょうが、理論家の李漁も実はグルメで、彼はその著書で、料理は原料の元の味を大切にすべしと説き、竹の子をもしほかのものとまぜあわせ、更に醋や胡麻油を使ったのでは、鮮味を失い、竹の子の真の味が消えてしまう」と当時流行っていた食べ方を否定しています。そして、料理のうまさは、原料の元の味を十分生かされたものを求めることが清代の調理法の一つの特徴といえましょう。

ラストエンペラーの傳儀の代で、封建王朝は民国に代わりますが、この時代は戦乱に満ちた時代で、料理の新しい発展は見られず、基本的には伝統の名料理がひきつがれただけでした。この時代は「満漢全席」はすでに時代遅れとなり、これにとって替るものとして、海燕の巣とフカのヒレに代表される料理や、アヒル、ナマコの料理が増え、会席料理も、八品料理に前菜八品というのが一般的になっていました。

新中国誕生後の相当長い期間、大きな力を建設にふりむけ、食べ物といえばお腹を満せばそれでよい時期がつづき、この時期にも、料理も余り大きな発展は見られません。料理がこれまでに見ないすさまじい勢いで発展をとげたのは、1980年代に、計画経済から市場経済に転換し、改革開放政策が一つ一つ実を結ぶようになってからのことです。

封建王朝時代は宮廷内の必要で、料理の種類も増え、調理技術が発展をとげたわけですが、当時の一般庶民にとって見れば、高級料理は高嶺の花で、縁の遠いものでした。最近は、北京市の料理屋も、十数年前に比べて、数十倍も増え、北京にいれば、広東料理から、上海料理、四川料理、淮陽料理、ひいては少数民族のウィグル料理、タイ族料理と何でも食べられます。

お腹を満たすだけという段階は、少なくとも豊かになった農村や都市部では、すでに終止符が打たれ、更に美味しいもの、めずらしいものへと要求も高くなっています。

こうした経済的にゆとりのできた人々は、食べることにお金を惜しみなく使い、これがまた料理業の発展を促しています。

調理師の養成も調理師学校ができ、昔のような徒弟制度だけでは、必要に応じられなくなっているのです。

ところで、中国料理も、長い歴史の中で、南方と北方では、料理も異なる風格を持つようになり、南方料理の代表が、長江淮河流域の楊州料理、または上海料理ともいいます。そのほか、広東料理に四川料理、北方の代表は山東料理です。これを中国の四大料理といい、これに宮廷料理を代表する北京料理が加わり、合わせて中国の五大料理ともいいます。

中華料理
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