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中国料理の発展歴史(その四)
   2005-05-18 15:33:00    cri

隋代の江都の人があみだした料理で、隋の煬帝が特にお気に入りの『鏤金竜鳳ガニ』がまず上げられましょう。

隋の煬帝といえばぜいたくを極めた皇帝で、江都、長江の江に都とかく江都にみゆきした時に、地元の役人に、美味しいだけでなく、見た目も美しい料理を出せといいつけ、その時に出されたのが、この料理でした。実は種をあかしてしまえばありふれた料理だったのです。それは、カニの酒漬けで、ただカニの甲に金で竜と鳳凰をあしらったものです。そのつくりが、芸術作品のようであったのが煬帝の心を引いたにちがいありません。

いま一つは、「渾羊歿忽」と一寸変わった名前の料理で、渾羊??羊の丸ごとというので、羊の丸焼きかと思いましたら、羊を食べるのではなく、羊をかまの替えりにし、羊の腹の中に納めた鵝鳥やニワトリの若どりを食べるのです。若どりをつぶし、内臓などをきれいに取って、その中に味つけしたもち米をつめこみ、それを更に、内臓をとってきれいに調理した羊の腹に収め、ぬいあわせ、火であぶり、食べる時に羊の腹から、若どりを取り出して、それだけを食べるという、とてもぜいたくな料理です。

張廉明という人が書いた「羊の会席料理」という文章を読んでいましたら、元の時代にもこの『渾羊歿忽』という料理があったといいます。渾羊というのが羊丸ごと歿忽は一種の宴席のこと、つまり羊だけをつかった会席料理のことをここでは「渾羊歿忽」といっていたのです。最初のかんも、まんざら的を得たものでないわけでもなさそうです。でもそれも、隋や唐のものが受けつがれ、羊の腹の中に納めた若どりだけでなく、羊も食べるようになり、それを更に発展させて羊の会席料理となったのでしょう。

現在の名料理にランクされる「三組ダック」という料理がありますが、これは、隋唐の時代の食べ方が変化してできたものでしょう。

さて、唐王朝の崩壊とともに、世は五代十国の乱れた局面を迎え、北宋の太祖、趙匡胤がこれを統一して宋王朝を築きます。宋王朝は都を開封に置き数十年続きますが、この間、開封は東京の名で呼ばれ、人口も百万をこえる、当時としてスーパー都市として生まれかわり、調理技術も歴代の優れたものを受け継ぎ発展させ、ここに大きな発展を見せます。

『東京夢華録』には、「四海の珍味を集め、市場に帰する。世界中の異なる味を寄り集め、調理場これに精通す」とあります。このような市場には、名の売れている料亭だけでも72軒もあり、出される料理も一千品をこえるといわれ、また、これらの料亭には北方料理の専門店もあれば、南方料理を専門とする料亭もあります。

宮城の東華門外の飲食街には、魚、エビ、スッポン、カニから、羊、豚、兔などの肉類が、すべて揃い、店という店は「夜が明けると開き、五更すぎて閉じる」といいますから、ほぼ24時間営業というわけです。それも「風雪寒暑を問わず、昼夜をわかたずその賑わい非凡なり」ということです。

北宋宮廷画家、張択端の著名な絵画、『清明上河図』にも、当時の都、東京の繁栄ぶりが描かれています。

その中で料亭、居酒屋、茶店、飲食の露店などが画面の大部分を占め、画面にはまた、「正店」という看板をかかげた三階建ての料亭があるかと思えば、日よけのテントを張った露店の飲食店もあり、露店のテーブルを囲み生る人、料亭に出入りする人などが、ひときわ目につきます。

ここからも、当時の都、東京、中でも繁華街で、料理店がすでに重要な地位を占めていることが伺い知れます。

中華料理
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