さて、時代は変わって明代に入りますと、豊かな宮廷料理が民間に伝わり、町中の料理店も、一層高級化して、個室が設けられ、宮廷で出される会席料理が食べられるまでになります。
また庶民のために書かれたお料理の本が出版されるほど、民間の家庭料理もこれまでになく豊富多彩になって来ました。
そして、封建王朝時代の料理が頂点に達したのは、最後の王朝である清朝です。その代表作が、「満漢全席」といわれる会席料理です。この満漢全席は乾隆の時代からはじまり、すでに200年の歴史がたっていますが、これは、だいたい中国全土の名料理の集大成戸も言うべきもので中国料理の精華が、ここに集められています。
この会席料理は、前菜が48品、料理が134品、それにフルーツやお菓子がつき、普通は六回に分け、二日間かけてやっと食べ終えるという超豪華版です。品種の多いこと、味の美味しいこと、色、形の美しいこと、どれもこれも中国一です。
満漢全席は、満州族が北京に都を置く清王朝をきづいたあと、康煕、雍正から、乾隆の期間にかけて、徐々に完備され、六部九卿という役職を専門に設け、宮廷の宴会や国の大きな式典の宴会に必要なことを司っていました。乾隆のころ、今から200年ほど前、貴族や富豪がこれにならって、邸宅で満漢全席を設け、自分の地位や財産を誇ったといわれます。当時、一席設けるために必要なお金は、中流家庭の全財産をつぎ込むほどだといわれます。
これが光緒年間、今から120年ほど前、西太后が実権を握った頃になりますと、この満漢全席は、更に凝るようになり、一般の官宦までが、客を迎えるのに満漢全席をもってもてますことをほこりにしていました。
1911年の辛亥革命で、封建王朝の歴史に終止符が打たれ、満漢全席も「大漢筵席」と名を改め、料理も200品以上のものが72品にまで減り、多くの満州族の料理は漢宴席の中に融け込み、満族の区別がつかなくなりましたが、民間では、多くの料亭は満漢全席を売り物にして、客をひきつけていたといわれます。
当時、河北、山東、河南は北京から伝わり、長江江南の地区は四川から伝わり、広東、福建などは広州から伝わったということです。
清朝の時代の料理の特徴として一つ言えることは、味つけにこり、操作にこっていることが上げられましょう。
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