ご存じのようにヂンギスハンにはじまるモンゴル帝国は、13世紀の中頃にフビライによって、中国全土を含む東アジアのほとんど全域を征服し、元王朝を築き、約一世紀に渡ってこれを支配しました。これは少数民族が支配した最初の王朝で、内蒙古のドロン・ノール西北の開平府を上都とし、現在の北京を中都、後に大都と改め、新帝国の都とします。つまり、北京が都として誕生したのはこの時からです。
中国の料理も、少数民族の料理が加わり、種類も大幅に増えた時代です。
ジンギスカン料理といえば、鍋料理でおなじみのシャブシャブはこの時代の産物です。
話によると、今から700年ほど前、元の世祖フビライが、軍を率いて長征した時、突然、古里の草原の塩味の羊の肉の煮込み料理が食べたくなって、つくるよ命じました。随行の調理師が手際よく羊をつぶし、皮をはぎ、肉を切り取っていた時でした。騎兵斥候が「敵軍すでに包囲網をきづき、近くに陣を構え、攻撃を待つばかり」との報告が入ってきました。用兵は神速を貴としとす、すばやく攻撃にかからねばなりません。羊の肉をとろ火で煮ていたのでは間に合うはずがない、こう思った調理師は、羊肉の一番やわらかな部分を薄切りにして、沸き立つ湯につけ、一碗盛るとフビライも腹が減っては戦はできぬと、これを急いで腹一杯食べましたが、塩味だけではあったが、格別な美味しさ、汗が流れ出ると全身の血液が沸騰するかのようで元気がつき、軍を率いて敵陣に向かい、勝利を収めて帰朝します。
フビライは帰朝すると、この調理師に褒美として大金をさずけ、諸大臣を招いて、勝利を祝う宴会に設けました。調理師は、その時には、調味料を色々と工夫して、ごま味噌や、豆腐の糟漬け、唐辛子、ニラの花の漬物などをまぜ入れて出しますが、それが大変喜ばれ、フビライからシャブシャブの名が与えられたという事です。
シャブシャブの二つは肉を薄く切ることにあり、調理師の腕もここに現れ、その肉、皿にのせると皿の模様が透って見えるほど、薄いといわれ、そんなわけで肉を切る機械が誕生するまで、この料理は家庭料理にはなれなかったのです。でも、シャブシャブの命名者が元王朝の初代の皇帝フビライであったそうです。
この時代のフスホイという人が書いた宮廷料理のメニュー、『飲善正要』第一巻にも、「漢族の伝統的な料理のほか、少数民族の料理も大量に加わり、宮廷料理はこれまで以上に豊かになったと」と記しています。
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