山口百恵さん(1)が中国で広く知られた(2)ようになったのは1980年代の初めです。それは、テレビドラマ赤いシリーズの中の一つ、「赤い疑惑」(3)が中国全土で放送され大ヒットした(4)からです。中国では白黒テレビもまだ普及していない当時、人々は隣の家へ行って見たりしたほどでした。山口百恵さんが演じた大島幸子の優しさ、愛情への深さ(5)などが多くの中国人の心をつかみました。彼女が歌った主題歌「ありがとう、あなた」は、日本語で広く歌われていました。大島幸子のヘアスタイル(6)も大流行しました。このドラマの後、彼女が主演した、「絶唱」(7)、「霧の旗」(8)などの映画も次々に上映され、広く親しまれていました。また、彼女が書いた自伝「蒼い時」(9)は、日本で出版されてまもなく、中国でも翻訳本が出版され、大学の図書館にも収蔵されるほどでした。さらに、彼女の歌った歌詞を、テープで聞きながら一生懸命書き取る人もいました。彼女のちょっとメランコリックな雰囲気(10)、純情さ、スマイル、笑うと表れる八重歯(11)は、女優を選ぶ上で参考にされたほどです。80年代に北京映画大学に入り、今は世界で活躍している中国の女優コン・リーは、デビューした当時、「中国の山口百恵」と呼ばれました。
当時の若い男性の中には、山口百恵さんを理想の結婚相手にした人も少なくありませんでした。こうした人たちはもう50代になっています。この年代の人たちは、私が日本語関係の仕事をしていることを知ると、たとえ初対面でも、よく山口百恵さんへの思い出話をすることが多いです。その中でも、次のようなことがありました。仕事で中国でもトップレベルの気功師にお会いした時のことです。この方は50代ですが、「90年代、日本と共同で気功(12)に関する映画を撮った。そのとき、主人公となる日本人夫婦は、三浦友和さんと山口百恵さんのご夫婦を指定した。打ち合わせの段階では山口百恵さんもOKと言ってくれたが、撮影の直前に何かの都合でだめになって、結局、三浦友和さんと別の女優のカップルになった」と、とても残念そうな口調(13)で話してくれました。
21世紀に入った今も、メディアを通じてやはり山口百恵さんに関することをよく見たり聞いたりします。ここ2、3年、中国では、「超級女声」というテレビ番組が、全国的に人気を呼んでいます。これは、全国から女性歌手をスカウトする番組ですが、「『超級女声』の元祖(14)は山口百恵である」と題した文章が地元の新聞に載ったことがありました。それには10代の山口百恵さんは日本テレビのいわゆるタレント・スカウト番組「スター誕生」から生まれたと書かれていました。
1980年代、中国では10年にわたった文化大革命が終わり、改革解放が実施され始めました。中国にとって流行文化が芽生えた(15)とも言える頃、隣国の日本から山口百恵さんがやってきました。山口百恵さんは、今でも中国人の心に深く根付いています。
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