10年前の1997年6月30日、香港は中国に復帰し、特別行政区となりました。
「一国二制度」の実施より、香港の社会、経済と法的制度、および生活様式は変わってはいません。そして「特別行政区基本法」の実施によって、香港特別行政区政府は依然として自らの経済政策と財政予算を制定し、通貨を発行し、低い税率と自由な経済制度を維持してきました。
香港特別行政区立法会の範徐麗泰議長は、「法的制度では、復帰前の法律の絶対多数の条文は留保され、極少ない条文は『特別行政区基本法』に見合わないため修正された」と述べました。
また、証券会社に勤務しているリシャコールさんは、「香港はイギリス連邦の法的体制を維持している。イギリス連邦の法律体制は健全化したおり自由度が高い。これは香港経済の自由な高度成長を後押ししコントロールした。香港はこの自由度の高い法律の枠内で経済が自由に発展し、最も自由な経済区域となった」と語りました。
香港競馬会の責任者麦建華さんは「この10年来、香港の競馬はそのレベルと国際的知名度がいずれも高くなり、ネーム・カードとなった」と話しています
麦建華さんは、「香港の競馬は特徴をもっている。2001年に『フォーチュン』誌の世界フォーラムが香港で開催され、開催場所としてハッピーバレーの競馬場が選ばれた。そしてこの競馬場をみて世界の人々は直ぐここが香港であることが分かった。高層ビルが集まった都心部での競馬は香港の特色が強く、香港の競馬は世界でも知られている」と誇り気に話していました。
この10年、香港の経済は好調ぶりを見せ、景気に溢れ、市民の中国の国民としての意識は向上しつつあります。
「大陸と香港の貿易緊密化協定」により香港製品に対するゼロ関税が実施され、医師、会計士、弁護士を含め内陸に進出した香港市民は数十万人に上っています。
そして2003年の7月から、中央政府が大陸住民の香港への個人旅行を許可してから、香港のデパートや観光名所は標準語を話す大陸からの観光客で賑わっており、香港の観光業は急成長を実現しました。
香港観光業協議会の湯麟華副会長は、「国がフリーツアーを開放した後、毎年香港を訪れた大陸からの観光客は1000万人を超えている。いまは1200万人を超え、観光客の総数の半分以上を占めている」と話しました。
ところで、このような状況に伴い、香港では標準語をマスターすることがブームとなっています。
デパートのプロモーション担当の梁翠珊さんは、「香港ではいま、標準語を話せる能力が必要となり、店員募集で標準語をはなせることが第一条件となった」と言っています。
この十年間、香港は金融危機とサーズ・新型肺炎の感染拡大に対応し、いずれも中央政府からの力強い支持を得ました。
香港市民は、いま、中央政府の支持、大陸部の経済の高度成長、および自分たちの努力などにより、特別行政区の未来は麗しいものとなると見ているのです。
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