南京大学法学院の張暁陵教授は次のように話しました。今回の事案の意義は大きいです。これまで南京大虐殺、細菌戦による中国人被害者、さらに強制連行被害者が訴訟を起こしたのはほとんど日本で、被害者の権利擁護は非常に難しかったです。
張教授は、国際司法慣例によれば、第2次大戦にかかわる民事訴訟は自国で行うことができます。夏淑琴事件が国内で審理されたことにより、中国人が第2次大戦中の権利を擁護するための新しいルートが開かれたと指摘しました。
玄武区法院でこの事件が審理されている時、2人の日本人被告は出廷を拒否するだけでなく、2005年4月東京地方裁判所に提訴し、夏さんの中国の裁判所での起訴事実が「存在しない」ことの確認を求めました。
だが、夏さんが06年6月30日、日本に行って関係の公判に出席した際、両被告の弁護士は法廷で訴訟を取り下げました。
夏さんは、「やましい気持ちをよく示したものだ」と語りました。
そして、日本の「歴史学者」がなぜでたらめを言い、なぜ日本軍にひどく傷つけられた中国人をこのように扱うのか分からない、被害者の一人として、日本であれ中国であれ、歴史を真実に戻し、公正の回復をめざすと表明しました。
夏さんの弁護士談臻氏は、東中野修道と松村俊夫は南京で調査もせず、夏淑琴さんから直接聞き取りもしないで、一部の資料の語句の違いだけで、夏さんの本当の身分を否定しましたが、その意図は大衆を誤解させ、南京大虐殺の史実を根底から否定することにあると語りました。
さらに次のように述べました。裁判所の審理で認定された証拠は今後すべて法的意味をもつ。被告が出廷、応訴しなくても、判決の法的効力に影響はない。中国の民事訴訟法第130条によれば、被告が出廷しない時、法廷は欠席裁判を行う権限を有する。
1937年12月13日、中国を侵略した日本軍は夏淑琴さんの家に押し入り、一家7人を殺害しました。8歳の淑琴さんと4歳の妹淑雲さんは難を逃れました。米人牧師ジョン・マギーが危険を冒して撮影した記録映画「南京の暴挙の記録」には、南京城南門東新路口(交差点)5号の2世帯の民間人11人が惨殺される光景が記録されていますが、その中で生き残った女の子が夏淑琴さんにほかならないです。
夏淑琴さんの悲惨な体験は、中国を侵略した日本軍による南京大虐殺の一つの縮図にすぎません。1937年12月から38年1月にかけて、日本軍は南京占領の過程で、強姦と虐殺の獣行を働き、中国の民間人と武器を捨てた軍人30万以上が殺害され、2万人余りの女性が暴行を受けました。現在、南京にはなお大虐殺の生き残りが400人余りいます。 1 2
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