8月1日は、中国人民解放軍の成立79周年の日です。レバノン南部で亡くなった中国の軍事オブザーバー、杜照宇氏の遺体は、この特別な日に、祖国に帰る飛行機に乗せられました。中国中央軍事委員会が派遣した専用機は午後4時、イスラエルのテルアビブ・ベングリオン国際空港から離陸し、「平和を守る戦士」の遺体を載せて、中国に帰ってきました。
真夏の太陽に照らされている大地、ベングリオン国際空港の駐機場で、青いヘルメットをかぶった国連停戦監視機関のメンバーが、重々しい足取りで行進し、杜照宇氏の棺を中国政府代表に渡ししました。中国の代表は、棺の上を覆った青色の国連旗をとり、新たに中国の国旗をかぶせました。国連停戦監視機関は1948年成立。本部をエルサレムに置いていて、中東地域における各停戦協定の実行を監視することを任務としています。杜照宇氏は、国連の軍事オブザーバーとして、国連停戦監視機関に所属しています。遺体の引継式が終った後、イスラエル駐在中国大使館は杜照宇氏のために、厳粛な送別式を行いました。陳永龍大使は、沈痛な面持ちで、杜照宇氏に向けた言葉を読み上げました。
「世界の平和のため、あなたは断固として、長い闘いの道を選んだ。大地の安定のため、あなたは、人生に1度だけの尊い命を捧げた。あなたの情熱は、この世界に一番強い声を伝えた:平和がほしい、戦争はいらない!」
杜照宇氏の妻、李玲玲さんは、涙をこらえながら、夫の棺を撫でていました。そして人々は、1分間黙祷を捧げました。国連のダマスカス駐在中国軍事オブザーバーの郭全良氏は、国連停戦監視機関の代表として、杜照宇氏の遺体を中国まで送ります。郭全良氏はかつて、杜照宇氏とともに2ヶ月あまり、レバノン南部で平和維持任務についていました。杜照宇氏について、彼は、次のように述べました。
「私たちは、まるで兄弟のように仲良くしていた。彼は、仕事に一生懸命な人で、以前インドで生活した経験があり、外国語はもちろん、外交能力も優れていて、周りの環境に素早く適応する能力を持っていた。非常に短い期間で、レバノン南部の高級軍事オブザーバーに昇格して、若い人たちを率い、危険な平和維持行動を行ったこともある。一言で言えば、非常に立派な人だった」
修士の学位を取得した杜照宇氏は、中佐の肩書きを持っており、国防省の参謀とインド駐在中国大使館の秘書を務めたことがあります。2005年12月、杜照宇氏は軍事オブザーバーとして、レバノン南部に派遣されました。しかし、半年後、イスラエルの爆発で亡くなりました。
午後4時、専用機は爆音と共に、杜照宇氏の遺体を載せて、離陸しました。杜照宇氏は、この戦火に満ちた地と別れ、故郷へと帰りました。イスラエル駐在中国大使館の陳永龍大使は弔辞の中で、次のように述べました。
「照宇さん、安心して、祖国に帰ろう。今までの悲痛はすでに、明日の誇りとなった。平和の花が満開になる頃、あなたの努力も報われる。照宇さん、あなたは永遠に私たちの心の中にいる!」
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