2001年、パレスチナとイスラエルの間に、新たな衝突が生まれてから、ガザ地区とイスラエルの境界線近くは混乱状態に陥りました。特に、これまでの数ヶ月間に、ガザ地区の武装勢力は、連日イスラエルを標的に、カッサムロケット弾を打ち込み、イスラエル軍の戦車も度々ガザ地区に侵入しています。これらの衝突によって、大きな被害を受けているのは、双方の一般市民です。
「私たちは、車で、ガザ地区北部のベイトラヒヤという村に向かっている。この村は国境線に近く、一部のパレスチナ武装勢力はここから、ロケット弾をイスラエルに打ち込む。しかし、イスラエルはこの2、3ヶ月で、村周辺に砲弾を6千発あまり発射した。イスラエルの高官は、ここを誰もいない村にすると公言している。村にはまだ到着していないが、周辺はごみだらけ、砂だらけだ。道といえる道もなく、車はでこぼこ道を走り、道を探しながら前にすすでいる」と寥記者は現場で語りました。
30分後、記者は目的地、ガビンさんの家につきました。今年の4月、イスラエルの砲弾一発がガビンさんの家の屋上から落下してきて、爆発したそうです。4歳の娘さんが亡くなりました。また、ほかのお子さんも怪我しました。
イスラエル軍の砲撃は子供たちにも心理的な恐怖感を与え、多くの子供は精神医の診療所に通っています。
「うちの子供たちは、テレビで爆発の場面を見ると、すぐ体が震えはじめる。娘は鼻血がすぐ出る。彼らは安心感がまったくない。イスラエルの戦闘機や監視用の気球を見て、みんは驚いて大きな声で叫ぶ」と語りました。
一方、数キロぐらい離れた国境線の向こうのイスラエルのスデロト市でも、住民は同じような苦痛に耐えています。これまでの5年間で、パレスチナ武装勢力はここに3千発のロケット弾を打ち込み、1日に数十回発射されることもあります。
今年40歳のハヴァさんは、ここに20年間暮らし、3人の子どももいます。3人とも、一人では眠れず、親子5人が一つのベッドで寝ています。
「カッサムロケット弾が来るとき、その音が聞こえる。化け物に会うような恐怖感が湧き出てくる。ある日の夜、そのロケット弾が我が家の近くに落ちて、娘は驚いてベッドから落ちた」と話します。
スデロト市のモヤル市長は、正常な生活が出来ないこの場所で、子供たちを育てることは難しいと述べた後、
「半分以上の子供は恐怖に怯えており、親元をちょっと離れると、眠れず、夜になったら、外へ出られない。また、集中して勉強することもできず、大量の精神安定剤を服用している」と語りました。
カッサムロケット弾の襲撃は、ここの人々の生活だけでなく、地元の経済にもダメージをもたらしています。ここを訪れる観光客も殆どなく、市の中心部にあるレストランと商店も経営不振に陥っています。
パレスチナとイスラエルの衝突はまだ続いています。戦車の砲弾とカッサムロケット弾が境界線を飛び交っています。双方の人々は、平和を希望していますが、互いの襲撃は恐怖感と恨みしか与えず、平和は徐々に遠くへ去っていこうとしています。(翻訳:ハルオ)
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