私の家は黄河流域の河南省商丘市梁園区劉口郷南会館村にあります。改革開放の前、食糧不足で、十分に食べることもできませんでした。
1980年に土地の請負制が実施され、私の家は0.4ヘクタールの土地を請け負いました。皆が非常に喜んでいました。一年目で、食糧の収穫高は2倍に増え、食事の問題が解決できました。
私はこれだけに満足しませんでした。1980年代の半ば、政府は商品経済を奨励し始めたので、私は勇気を出して、都会へ出て商売をやりました。数年後、稼ぎも十分になりました。
農民であった私は都会で商売をしていたときでも、ふるさとのことをよく思いだし、都会で暮らすことになかなか慣れませんでした。しかし、よく考えると、農作物を栽培するには、税金を納める必要があるだけではなく、種子や化学肥料、農薬、機械などを買ったり、人力なども必要だし、重労働なわりに稼げる金額は多くないのです。それを考えて、ふるさとに帰らなかったのです。
2004年、河南省が率先して農業税を免除した後、政府は、農業補助政策を実施しました。こうして、ついに私は家に帰る決心をしました。
翌年、私はふるさとに戻ったとき、村人たちは積極的に農業に取り組むようになっていました。ただ、ほとんどの人が伝統的な作物しか栽培しておらず、一部の農家だけが経済作物を栽培していました。また、村人一部は出稼ぎに行っており、家の耕地は荒れ放題でした。これを見て、私は土地の規模化経営を試してみようと思いました。
私は商売で貯めたお金で、村の200戸農家の約40ヘクタールの土地を借り、クルミの木を植え、木の下には、金花菜を栽培しました。こうして、平均して、1ヘクタールの収入は30万元ぐらいになりました。
あっという間に、数年が立ちました。ここ2年間、うちは町に住宅と自家用車を買いました。村の農家もほとんど2階立ての新しい住宅を建て、テレビと携帯電話を買いました。一部の家ではインターネットのブロッド・バンドも備えつけてあります。
今後、村の地の利を活かして、多くの農家と協力して、観光農業を発展させ、ブランド農産品を作り、生活をより豊かにしていきたいのです。(翻訳:トウエンカ)
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