2008年8月8日、李寧さんは北京五輪開会式で聖火に点火しました。
李寧さんは中国国家チームとして、1984年ロサンゼルスでの第23回オリンピックの体操競技で金メダルを3個手にした人物です。
1990年代にスポーツブランド「李寧」を立ち上げ、以来19年間、彼の名前を冠したブランドのスポーツウェアはオリンピック選手たちに愛用されています。スポーツ選手から企業家に転身したその人生からはチャンピオンとしての精神が伺えます。
これまでの名声を放棄し、まったく知らない道を歩み出した。「体操の王子」と呼ばれていた李寧さんの人生において、スポーツ以外の選択をするのは始めてのことでした。
26歳の李寧さんは重々しい表情で、背筋をまっすぐに伸ばして座っていました。窓の外には見慣れた広州の町並みが広がっています。引退した李さんは、スポーツとまったく関係がないビジネス界への転身を打診されているところでした。李さんの前にはその提案をした李経緯さんが座っています。李経緯さんは私営企業・健力宝グループの取締役です。競技場を離れ、自分の活路はどこにあるのか。李さんは淋しく落ち着かない気持ちでした。ちょうど、故里の広西チワン族自治区体育委員会が委員会副主任への就任を要請してくれていました。引退後、地方や国家のスポーツチームの監督になる選手は多いのですが、李さんは興味がありませんでした。また、李さんは体操選手時代スポーツ選手たちとレコードを吹き込んだことがあり、芸術界入りするのもは選択の一つでした。さらに、深センで体操学校をつくるのもいいとも考えていました。そんな中、李経緯さんから健力宝グループへのスカウトを受けたのです。この提案は魅力的なものでした。スポーツの発展には、経済力が必要だと李さんは思っていたからです。
李さんは起業に自信はありませんでしたが、李経緯さんの情熱のこもった要請に李さんは感動しました。「当時、中国では、『企業』と言うものについて余り知られていませんでした。健力宝に加入したのは自分の感情や直感、興奮、憧れに任せたことで、あまり真面目には分析をしていませんでした」と李さんは話しています。
迷って、一歩を踏む出せずにいた李寧さんでしたが、李経緯さんの提案は受け入れやすいものでした。しかし、小さいときから体操に専念していた李さんにとって、これは大きな挑戦でした。しかし、李さんは速決しました。青春をかけて勝ち得た栄誉をビジネスの世界にかけてみようと思ったのです。
李さんは微笑みながら、招聘状を受けとりました。
1989年5月ビジネスに対する好奇心や情熱、そして古い友人に対する信頼を胸に、李寧さんは健力宝グループに加入しました。(翻訳:董)
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