呉慶恒さんは生前、子供もなく、退職後、一人で雲南省昆明市のはずれに住んでいました。
1985年11月のある日、呉さんは翠湖のほとりでシベリアから渡ってきたかもめの群れに出会いました。嘴と足が赤く、お腹が真っ白なかもめは、身長は31ー40センチほどで、それまで見たこともありませんでした。
呉さんは早速店でビスケットを買ってきて、かもめに餌をやりました。元気そうに餌を食べるかもめを見て、呉さんは喜びと幸せを感じました。その日から、翌年の3月まで、呉さんは毎日6000羽のかもめに餌をやりに行きました。
春、かもめは北の方へ戻って行きましたが、呉さんは食費をできるだけ減らし、バスに乗らないようにして交通費を節約するなど、僅かな年金を貯めて、かもめが再び来るのを待ちました。
11月に、かもめは本当にやってきました。大喜びの呉さんは毎日湖に来て、かもめに餌をやりますが、かもめも次第に呉さんに馴染んできて、彼を囲んで飛び交っていました。かもめの数は年々増え、やがて昆明市の風物詩になりました。人々はかもめに餌をやるお年寄りの穏やかな表情から、大自然と仲良く暮らす喜びを感じました。
11年後、呉さんは亡くなりましたが、その後ボランティアたちが呉さんの代わりに餌をやりつづけています。いま、湖のほとりに呉さんの銅像が立ってこの美しい眺めを見守っています。(文:閣)
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