韓書傑さん(42歳)は、3年前、中国の東北大学の大学院で哲学の修士号を取得した後、河南省の故郷に帰り、村人を率いて、3年をかけて、サツマイモの栽培に成功し、豊かな道を切り開きました。
韓さんは河南省濮陽市柳屯鎮ゼ河寨村に生まれ育ちました。高校を卒業後、濮陽市で教職に付き、さらに2002年に東北大学の大学院に入学しました。在学中、農村問題をテーマに研究し、修士号を取得した後、故郷の村人を豊かな生活に導くため、ゼ河寨村に戻ることにしました。
実は韓さんが故郷に戻る決意をしたのには、もう一つの事情がありました。大学院に在学中、韓さんの母親が入院しました。その治療費を集めるため、韓さんは進学を断念しようと思いましたが、村人たちが手を差し伸べ、多額の治療費を寄付してくれました。その時、必ず恩返しをすると韓さんは心に決めました。
2005年6月、故郷に戻った韓さんは、村の党支部書記に就任しました。2500人を抱える村では、長年、幹部がいない状況が続き、生活は立ち遅れていました。
現状を改善する突破口を見つけるため、韓さんは考察を重ね、澱粉量の多いサツマイモの栽培を試みることを決めました。その後、彼は全国20箇所を廻り、最終的に15種類の品種のサツマイモを選びました。また、耕地を確保するため、農家から土地を高価格で借用する方法を講じ、一年目に、164ムー(1ムーは667平方メートル)の土地で20品種のサツマイモを栽培し、13万元の収入を得ました。また、収穫したサツマイモをハルサメに加工し、さらに30万元の収入がありました。
翌年、韓さんは栽培状況の良かった品種を2種類だけ残し、栽培面積を10倍に増やしました。また、今年に入って、苗を村人に貸し、村人が自分で栽培、管理するという新しい方式に切り替えました。また、サツマイモの間に緑豆を栽培する技術などを村人に教え、栽培構造の改善にも取り組みました。
村に入った資金は、道路整備、加工設備の購入などに使われ、村の様子は変わりました。そのことがさらに周辺の村人を引き付け、サツマイモの栽培面積は広がりつつあります。
韓さんの目標は、故郷をサツマイモの苗育成基地、サツマイモ食品の加工基地にすることです。そして、さらに海外進出も目指しているということです。(「大河報」より、編集・翻訳:閣)
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