日本から中国の内蒙古に植林に来る人が年々増えています。そんな中に、一人のお母さんがいます。易解放さん(58歳)です。易さんが植林を始めたのは、実は悲しい出来事がきっかけでした。
易さんは上海出身で、87年に日本にわたり、親子三人の幸せな生活が続いていました。しかし、2000年に、中央大学3年生の自慢の息子(22歳)を交通事故で失くし、人生が一転して真っ暗闇のどん底に陥りました。
生きる勇気さえ失った易さん、1年半後に息子の遺品を整理していると、ふと、事故の2週間前に息子が言ったことを思い出しました。「卒業したら、緑を増やしに行きたいな」。その時、食卓の前のテレビでは、中国の砂漠化を伝えるニュースが流れていました。これは、息子がお母さんに残したメッセージなんだと気づいた易さんは、息子の遺志を継ぎ、早速行動を始めました。
最初に取った行動は、息子の死亡保険金400万円を湖南省の山村に寄付し、小学校を作ることでした。さらに2003年に、東京でNPO法人「グリーンライフ」を設立し、中国の内蒙古自治区で植林を進める活動を始めました。これまで内蒙古に10万本のポプラや松の木を植えてきました。いま、日中間を行き来する易さんは、エネルギーが溢れ、すっかり元気を取り戻しています。
6年の間植林に専念し、息子の学校のPTAの親たちがNPOの理事になってくれたり、中央大学の関係者などが運営のアドバイスをしてくれたりして、周囲から暖かい応援の手が差し伸べられ、「善良な人にいっぱい出会えて、人生の宝物となっている」と感激。また、上海駐在の日本ビジネスマンの奥さんらを中心とするボランテイアサークルからは、「大地の母」と呼ばれ、毎年1万元の寄付金が寄せられているなど、「息子のお陰で、世界中に友人が出来た」と感謝の気持ちでいっぱいです。
また、こんなこともありました。仕事でたまたま面識のあった国際協力機構(JICA)の北京駐在員の西村暢子さんが、2007年10月の中国国慶節の休暇中、ケニアで交通事故に遭って、亡くなりました。同じく交通事故で子を失くした親として、易さんはそのご両親の気持ちが痛いほど分かり、慰めの手紙を出しました。その半年後の2008年3月に、朝日新聞で易さんのことが紹介されましたが、それを読んだそのご両親の西村治さんは、易さんから手紙をもらったことを思い出し、娘のために300万円を植林に寄付することを決めました。この春、中国内蒙古の大地に「西村暢子」の記念碑を建てるとともに、2万本の木を植える計画です。
子供を失った時に、親が直面する大きなショックは世の中の親の共通する気持ちです。人生の苦難にめげず、その悲しさを植林という素敵な行動に移すことにより、世界の全ての子供に美しい環境を与える。母親の愛がより広く素敵な形で現れたと言えます。
「私たちが子供たちに残したいのは、きれいな空気、緑いっぱいの大地、思いやりのある心です。名誉、地位、財産があっても、安心して飲める水、自由に吸えるきれいな空気がなければ、全てが台無しになってしまう」と、易さんは世の中の全ての母親にこれを分かってほしいといいます。今、易さんは「百万人の母親、百万本の木」というプロジェクトを提唱しています。一本の木は僅か100円です。「日中100万人の母親が立ち上がれば簡単に実現する」と、100万本の植林目標に自信満々です。(文:王秀閣)
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