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全人代初の農民工代表ー朱雪芹
   2008-04-03 12:47:59    cri

 3月5日から18日にかけて、「両会」?第11期政治協商会議の第一回全体会議と第11期全人代・全国人民代表大会の第1回全体会議が北京で開催されました。中国人民政治協商会議は最も広範な中国の人々による政府の助言機関と言えます。全国人民代表大会は日本の国会に当たる中国の最高権力機関で、代表の任期は5年です。この二つの機構の全体会議は年に一回、3月ごろに北京の人民大会堂で開かれます。

 今年は第10期の全人代と政治協商会議の任期終了に当たり、新たに結成された第11期の最初の会議でした。今年は、中国共産党の第17回大会が開かれた後の最初の両会で、北京オリンピック開催前の初めての会議でもあり、改革開放30周年にもあたりますので、国内外から注目されていました。、

 ところで、今年の両会が注目された理由はほかにもあります。その一つは、農民の出稼ぎ労働者である「農民工」が初めて代表として全人代に参加したことです。全人代の開催期間中、北京で代表による記者会見が行われました。会見に参加した10人の代表はすべて地方から来た人たちで、そのうち3人は、上海、広東、重慶から選ばれた農民工の代表でした。記者の質問に答えているのは、31歳の朱雪芹代表で、上海から来た農民工です。今週の番組では、朱雪芹代表にスタジオに来てもらいました。

 「皆様今晩は、私は全国の人民代表の朱雪芹です」

 朱雪芹代表の日本語はなかなか達者です。農民工の代表のうち、日本語ができるのは朱雪芹さんだけです。彼女は、現在上海にある中日合弁服装会社の工場長で、労働組合の副委員長を務めるとともに、社内で日本語通訳も担当しています。また、研修生として2回日本に派遣されたこともあります。

 朱雪芹さんは「私たち3人の農民工代表は、1人が7000万人の農民工を代表している」と話しました。

 大まかな統計によりますと、中国の農民工はおよそ2億人もいます。中国では1970年代末から改革開放政策が実施されてから、経済が急成長してきました。都市部と比べて、農村部では経済発展が遅れているため、住み慣れた村を離れ、大都会へ出稼ぎに行く農民が次第に増え、「農民工」という新しい階層が生まれました。農民工は主に建築業、製造業、飲食業、それに運輸業などに携わり、今では中国の産業界を支える重要な力となっています。しかし、農民工がなかなか都会の暮らしに溶け込みにくいのも事実です。

 全人代の開催期間中、朱雪芹さんはなかなか眠れず、不眠症にかかってしまいました。その原因を聞くと、彼女は次のように答えました。

 「プレッシャーがあった。身を削るほど働いている農民工たちのニーズや意見を聞き取って、政府にどのように報告し、自分の責任を果たすかを毎日考えている。全人代の代表に当選した日から毎晩よく眠れなかった。北京に着いてからは、睡眠薬を飲んでも全然眠れないようになった」

 3月2日は、朱雪芹さんが上海を発つ日でした。その日の朝、上海で働いている50人あまりの農民工が自発的に朱雪芹さんを見送りに来ました。彼らは、飲食業、建築業、製造業などの現場で働いています。彼女はその時、涙が出るほど感動しました。「農民工の声を全人代でアピールできなければ、兄弟たちに済まない」と考えた朱雪芹さんは、次のような提案を出しました。

 「全国で統一された社会保険制度を導入し、保険の機能を高める必要がある。農民工の場合、今年は上海で働いていても、来年は北京や広州へ移動するかもしれない。統一された保険制度があれば、農民工の権利を保障できるようになる」

 この提案を聞いて、どういうことだろうと感じるリスナーがいらっしゃるかもしれません。というのも、中国の福祉制度は日本とだいぶ違うからです。

 日本では、社会保険は全国どこでも適用されるもので、その制度は地域別のものではないでしょう。しかし、中国では、社会保険は市の段階にとどまっていて、医療費の清算も、自分が今働いている都市か自分の戸籍がある所在地の市などに限定されているのが普通です。

 中国がこうした政策を取っているのは、先進的な医療設備や優れた医師が都市部に集中している中で、地方や農村の患者たちができるだけ地方の病院を利用するように仕向けるためで、地方の病院の規模を拡大していく狙いもあります。それでも、北京、上海、広州など大都市の病院は、いつも地方から治療を受けに来る患者でいっぱいです。

 こうした社会保険制度は、安定した仕事を持っている人にはあまり影響を与えていませんが、働く場所がよく変わる農民工にとってはかなり不便です。例えば、上海での仕事をやめて北京へ移動した農民工は、上海で加入した労災保険や医療保険を中止して、北京で新たに保険に加入し直さなければなりません。

 朱雪芹さんは、こうした不便な現状を改善するために今回の提案を行いましたが、彼女と似たような考え方を持つ政府側の代表もいます。河南省の全人代代表で、河南省労働・社会保障局の孔令シン局長は、個人情報と福祉情報を統合した個人口座の設立を提案し、「こうした個人口座には、労働者の履歴や個人情報などがすべて記録されている。この個人口座は、給料の口座でもあり、労災保険や医療保険などの社会保険の口座でもある。一つの口座番号さえあれば、何でもできる」と述べました。

 3月5日、朱雪芹さんは初めて代表として人民大会堂に入り、第11期全人代の第一回会議に参加しました。この会議で、温家宝首相は国務院を代表して、政府活動報告を行いました。政府活動報告の後半の「今後の活動方針と重点政策」の部分で、温家宝首相は次のように話しました。

 「社会保険のカバー範囲の拡大と基金徴収の仕事に力を入れていく。農民の出稼ぎ労働者の保険加入を重点的に拡大する…… 社会的に統一した制度と個人口座を結びつけた基本養老保険制度を充実させ、養老保険個人口座の確実な積み立てを拡大し、全国的に統一した社会保険規定を制定する…」

 温家宝首相はまた、報告の中で、農民工の特徴に合った養老保険の策定を急ぎ、失業、労災、出産保険制度を速やかに整備することを指示しました。農民工に関わる内容を充実させた政府活動報告を聞いた朱雪芹さんは非常に感動しました。

 温家宝首相の政府活動報告が、中央政府が農民工の福祉を改善していく決意を示したものとするなら、社会労働保障省の田成平部長が9日行った発言は、その福祉改善策を実行する約束だと言えるでしょう。

 中国の社会労働保障省の田成平部長は9日の記者会見で、2年以内に省クラスでの統一を実現し、年内に全国で統一された社会保険関係の規定を制定すると発表しました。

 田成平部長は、「わが国の社会福祉制度には不備なところが多く、整備していかなければならない。現在、全国または省クラスで統一した社会保険制度を行っていない。社会保険の統一が市クラスにとどまっている。これを解決するには、社会保険の統一を市や県のクラスではなく、省クラスまで拡大する必要がある。2008年と2009年の2年間で、省クラスの社会保険統一を実現した上で、さらに、全国レベルの社会保険を目指す。その後、全国をカバーする社会保険情報のデータベースと合わせて、全国範囲で新たな社会保険制度を導入できるだろう」と話しました。

 田成平部長のこの発言は、朱雪芹さんを心強くしました。

 朱さんは、「全人代の会議がまだ終わっていないのに、政府はすぐ提案に返事してくれた。農民工はこれからはもっと重視されるに違いない」と述べました。

 朱雪芹さんの提案が中央政府に評価され、採択されることは偶然ではありません。彼女は全人代の代表に選ばれた後、数ヶ月もかけてレストラン、建築現場、工場などを訪れ、農民工たちから色々とニーズと意見を聞き取り、農民工たちの実態を詳しく調べてきました。しかし、朱雪芹さんは、自分が代表に当選したことを今でも不思議に思っています。

 「全人代の代表に当選するなんて、想像もしなかった。代表には幹部や取締役しか選ばれないと思い込んでいた。テレビニュースで、全人代の代表名簿に自分の名前が載っているのを見てきっと間違いだと思った。その後、友人や同僚からお祝いのメールや電話を受けて、やっと信じるようになった」と彼女は話しました。

 江蘇省の農村生まれの彼女は、四人兄弟の三女で、下に一人の弟がいます。経済的な事情から、朱さんは中学校を卒業後、家に残り家事などの手伝いをしていました。そして、1995年、18歳の朱雪芹さんは上海に出稼ぎに行き、今の会社に入りました。1年も経たないうちに、彼女は優秀な作業員になりました。9年後、朱雪芹さんは上海市初の農民工の労働模範の一人となりました。しかし、それまでの辛さは朱さんにしか分かりません。

 「ミシン針が何回も指を貫通したことがある。最もひどかったのは、指にミシン針を刺して、針が骨に当たって曲がり、指先から突き出したことだった。針が曲がったので、手ではなかなか抜けない。同僚が機械担当の技師を呼んできた。技師は両手でペンチを挟んで針を引き抜いた。本当に痛くてたまらず、涙があふれ出た。でも、不器用だと笑われたくないので、泣かなかった」と朱さんは笑いながら話してくれましたが、話を聞きながら私はだんだん朱さんを立派だなあと感じるようになりました。彼女は何ものにも負けず、まじめに頑張っている人だと分かりました。

 彼女は独学で高校の学歴を取得し、その後2年連続して優秀作業員に選ばれ、公費研修生として広島県にある日系企業の親会社に派遣されました。日本へ研修に行く前、「こんにちは、こんばんは」しかできなかった朱雪芹さんは3年間の研修が終わった時には、日本人の作業員と日本語で自由に交流できるようになっていました。

 「私に日本語を教えてくださった最年少の先生は7、8歳で、最年長の先生は7,80歳だ」と彼女が話しました。

 彼女の最年少の先生は小学校の生徒で、最年長の先生は隣のおじいさん、おばあさんたちです。朱さんたち研修生は、広島の親会社で、毎日日本人の作業員と交流しなければなりません。中国人の研修生たちは日本語が上手ではないので、説明が分からない場合、日本人の作業員に繰り返して説明してもらうほか仕方がありません。朱さんは、少しでも日本語が上手になりたいと思いました。

 ちょうど、彼女の会社の近くに小学校がありました。「生徒たちの日本語は大人より分かりやすいし、大人ほど忙しくないので、生徒たちとどんどん会話すればいい」朱さんはそう考えて小学校の生徒と会話することにしました。朱さんの会話の相手は最初2、3人の生徒だけでしたが、その人数はだんだん増えて、低学年から高学年まで、みんな彼女の会話相手になりました。下校後、彼女の会社に立ち寄って、窓から彼女の名前を呼ぶ生徒もいました。生徒たちと会話を練習するほか、朱さんは宿舎の隣に住んでいる一人暮らしのお年寄りともよく話し合いました。朱さんの話によれば、一人暮らしのお年よりは寂しくて、人に話を聞いてもらいたかったのです。彼女は、家事の手伝いをしたりして、お年よりたちとよく会話をしました。

 日本での研修を経験した朱さんは、知識をより重視するようになりました。彼女は今、夜間大学に通って、商工管理コースを学んでいます。「農民工が都会の暮らしに溶け込むためには、他人の倍以上頑張らなければならない。知識を増やし、専門の資格を取得しなければならい」と彼女は考えています。ですから、今回の全人代で提出した提案には、農民工向けの教育制度を改善する内容もありました。

 「全国範囲で統一された教育制度を導入する必要がある。夜間大学や通信教育などを通じて、専門資格や高学歴を求める農民工は大勢いる。卒業するまで普通数年間かかりますが、農民工は家庭や仕事の関係で数年間ずっと同じ場所で働くわけにはいかない。今の教育制度では、勉強中の農民工は働く場所が変わる場合、学校を中退しなければならない。もし異なる学校でも通用できる教育制度があれば、農民工の就職にもプラスとなるだろう」

 異なる教育機関でも通用できる単位制度は中国でまだ整備されていません。しかし、中央政府の今後の政策方針には、農村部における専門学校の規模を拡大し、農民を対象とした職業訓練に力を入れ、農民たちの就業能力の向上を目指すという内容が盛り込まれています。

 朱雪芹さんは今回の全人代に参加して、13年間働いてきた自分には、若い農民工たちがまだ意識していない問題まで考られると思うようになりました。これからの5年の任期中、彼女は農民工の声を政府に届け、農民工のイメージを変えていく努力をしようと覚悟しています。(文:姜平)

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