30代の安金れいさんは、北京の近くのある省、河北省衡水市棗強県に住んでいます。1993年に農業専門学校を卒業してから、技術員として農場に勤めるようになりました。最初の一年間、田んぼに化学肥料や除草剤を撒く仕事をやりました。匂いがきつくてたまらない上に、収穫した農作物も美味しくないので、化学肥料などの使用に疑問を持つようになりました。1995年から、無農薬の農業を試みて好評でしたが、効率が悪くて農場に受け入れられませんでした。
2000年、安さんは、農場の仕事を辞め、生まれたふるさと、衡水市棗強県に戻りました。村のはずれにある一番やせた土地、およそ3ヘクタールを請け負いました。農薬や化学肥料を使用しない農業を始めました。
安さんがいる棗強県は、綿花やとうもろこしを主な作物としています。農薬と化学肥料、除草剤を使わないので、最初の三四年間、収穫はほかの村人より少なかったです。農薬などを使わないことで農民らしくないとさえ言われました。
安さんは、次のように話しています。
「私のやり方は農民にふさわしくないとよく言われました。私はそう思っていません。農業は自然の一部分です。自然の角度から農業を見るべきです。自然のシステムを回復させたいです。自分の頭の中にある自然の美しさを現実に戻したいです。今、多くの人はもっとお金が欲しいと思っていますし、家畜も飼育したくないようです。出稼ぎでお金を稼いで化学肥料を買います。出稼ぎで疲れる一方で、マージャンなどで遊んだりしています。田んぼにいる時間は、だんだん少なくなってきました。田んぼに行きたくないでしょう。田んぼには農薬を使っているので、匂いがきつくて居たくないでしょう。今でも、空気の中に農薬の匂いが漂っていります。気分が悪くなります」
安さんは、村人に「変わり者」と見られ、仲間はずれにされました。それでも自分の信念で、無農薬による農作物の栽培を続けてきました。
安さんの田んぼは、鳥や虫、草の楽園となりました。
鳥たちにとって、周りの田んぼの水が農薬に汚染されたため、飲みにくくなりました。やむを得ず、安さんの田んぼに向かいます。安さんの話によりますと、最も多い時には、2000羽の鳥が安さんの田んぼに集まって来るそうです。安さんは、「私たちは、自然の中の音楽家が作る美しい音楽を楽しむことができます。農作物にとっても人間にとっても、鳥や虫の鳴き声は最高の音楽でしょう」と話しています。
安さんは、鳥や虫はもちろん、土地や農作物、雑草にも命があるのだから、やさしく扱うべきだと考えています。
安さんの話です。
「田んぼや畑にいる間は、携帯を使いたくないです。携帯を使うと、電磁波が発生するでしょう。植物にも悪いし、土地にも悪いと思います」
安さんは、外部と連絡するため、携帯を買いましたが、田や畑には絶対に持っていかないということです。家にあるテレビは二十年前のものでめったにつけません。ラジオはよく聞いています。また、食事の後に茶碗などを洗う時は、洗剤の代わりに、トウモロコシの粉を使います。使い終わったトウモロコシの粉は、野菜や果物などを混ぜて犬の餌にします。トウモロコシやゴマなどの茎は、メタンガス燃料を作るのに使ったり、次の年の畑の肥料として使ったりしています。
安さん夫婦は三人家族で、12歳の一人息子がいます。数カ月前、息子は、安さん夫婦の元を離れ、四川省成都市にある小学校に入りました。個人が経営している小学校で、生徒たちに教科書を教えながら、小さな土地で実際に農業をやらせています。そのほか、木工や住宅建築などの技術も教えているそうです。安さんは子供の将来を考えて息子を送り出しました。
安さんと奥さんは、素朴な生活を送っています。朝五時半に起きて、30分後に二人で畑に向かいます。日が暮れたら、家に戻り、食事や家事が終わった後は、読書して寝ます。
安さんは、食べ物を提供してくれる土地に感謝する気持ちでいっぱいです。
安さんはこう語りました。
「年に200キロぐらいの小麦粉と100キロのトウモロコシがあればいいです。500個のサツマイモもあって、私たち二人ではもう食べきれません。私たちには十分です。0.5ヘクタールの土地があれば、人一人が生きていけます。ほかの物のことはあまり考えません」
奥さんは働き者で、安さんより日焼けしているほどです。奥さんは、次のように話しました。
「多くの人は信じないかもしれません。私はみんなが望むような楽な暮らしを期待していません。今の暮らしは気持ちがいいです。多くのものは必要ありません。ひもじい思いをせず、寒い思いをせずに済めばもう十分です。多くのものを持てば、かえって負担になります。人はそれぞれ求めているものが違うと思います」
安さん夫婦にとって、一番必要なお金は息子さんの学費と生活費です。費用は一年で9000元、日本円にしておよそ15万円です。収穫した綿花やゴマなどを売れば大丈夫だそうです。将来、急な入用ができたらどうする?と聞くと、「健康な食べ物を食べているので、難しい病気にかからない。毎日働いているから、食糧の心配もない」と応えました。
農業を営むうちに、安さんはいろんなことが分かったといいます。たとえば、数千年来、農民を悩ませてきた雑草の問題です。十数年の経験から、「雑草はわたしたち農民の恩人だ」と思うようになりました。というのも、雑草が有害な細菌を分解して地力を保ってくれること、害虫を食べてくれる野鳥の糞が肥料になることなどが分かったからです。安さんは鳥たちのために、わざわざ穀物を栽培したこともあります。そして、現在進んでいる工業化や都市化について考えています。環境との調和が取れない発展は、人間や地球の将来にとって災いになると心配しています。
六、七年が経ち、安さんの畑のよさがはっきり見えてきました。村人が栽培している綿花は農薬などが使われたため、だんだん弱くなってきました。病虫害も起きました。その中で、安さんの畑の綿花だけはすくすく成長していました。安さんの綿花栽培は多くの人の注目を集めるようになりました。中国農業大学は安さんを招いて学生たちに講座を行いました。
安さんの実践が農業学校でも評価されました。
環境問題はわたしたちにとって、最大の課題となっています。安さんの話を聞いて、「生きる」意味を考えさせられます。自分が便利に暮らしていること自体が環境や地球に影響を与えているのだということを自覚しながら生きていくことが必要だと思います。(文:藍暁芹)
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