北京生まれの王鋭光さん、35歳。穏やかな物腰は、南方出身の方にも思えますが、話してみると、何でもはっきりというサバサバした北方人の気質を持っていることがよくわかります。
1995年、王さんは北京外国語大学のイタリア語学部を卒業しました。そして、優秀な成績で外務省ヨーロッパ局に入局。その1年後、中国のイタリア駐在大使館に派遣されました。
2年間の外交官の経験は刺激的で、王さんは様々なことを学ぶ機会にめぐまれました。しかし、そのときから王さんは新しい人生を期待し始めました。考えた末、王さんは外務省の仕事を辞めて、商売を始めました。他人から見れば、外交官という安定した仕事をやめるのは考えられないことです。しかし、王さんは自分の選んだ人生は間違いではないと考えています。
「外務省の仕事は勉強になりました。これからの仕事にも役立ちます。しかし、この仕事をやめることはちっとも後悔しませんよ」
ちょうど、そのころイタリアのオペラ「トゥーランドット」が紫禁城で上演されることになりました。王さんは友人の紹介で通訳を担当しました。王さんの優れた外国語能力は出演者たちの評価を受けるとともに、イベント会社の責任者の注目を集めました。仕事を辞めた王さんはすぐに、その会社に就職したのです。
「最初は映画やテレビの文化交流、主にテレビ番組の著作権に関する業務を担当しました。前にイタリアで仕事をした経験がありますから、イタリアの国営放送との業務を担当しました。たくさんのイタリアのテレビ番組を輸入しました。今も中国中央テレビで流されていますよ。」
王さんはこの会社に勤めた3年間、多くの業績を遂げて、会社の中核となりました。王さんの友人、天行さんの話です。
「彼はとてもユニーク人ですね。芸術家タイプの非常に感覚的な人というイメージですね。才能も豊かですし、また独特な考え方を持っています。もちろん、仕事に対しては、すごくまじめな人ですね。」
3年後、王さんは独立して、自分の会社を作りました。中国とイタリアの文化交流は会社の主な業務です。2006年は、中国・イタリア文化年でもあったことから、北京では様々なイベントが行われました。王さんの会社は20あまりの展示会や公演などを企画して、両国の協力や友好関係に文化面での貢献をしてきました。
中国・イタリア文化年によって、中国人のイタリアに対する興味もますます深まりました。多くの中国人の高校生がイタリア留学を目指すようになったのです。イタリア政府は中国人留学生のビザ申請の手続きを簡単にしました。それを聞いた王さんの中では、かつて抱いていたもう一つの夢がよみがえってきたのです。
「実は、教師になることが、子供のころからの夢だったんです。40歳になるころには、先生になりたいなあと思います。たぶん、その気持ちは、家族からの影響が大きいでしょうね。」
王さんの親せきには、教育関連の仕事をしているのが20人あまりいます。自分の会社がいくらうまくいっていても、王さんは、それは一生の仕事だと思っていません。ある日、外務省の昔の同僚と話していると、これから、中国とイタリアの教育省が両国の大学の交流に重点を置くことを知りました。上海の同済大学は、その交流に参加する中国の大学の一つです。上海への出張をきっかけに王さんは設立されたばかりの同済大学の中国・イタリア学院を訪れました。ちょうどそのとき学校側はイタリア語教師を募集中でした。大学側と相談した末、王さんは再び転職を決めたのです。
「会社を経営することと教師とはだいぶ違います。しかし、両方とも共通する何かがあるとおもいます。だから、これまで積み重ねてきた経験は大学の仕事にも通用しています。私は、辛抱強くて、自分なりの考え方を持っています。いつも学生一人一人の特徴に合わせて違った形で教える、これが私のモットーです。」
同済大学で仕事を始めてからこれまで、王さんは、イタリアの大学との交流事業を担当するほか、中国人学生30人のイタリア語の授業を担当しています。同済大学でイタリア語を1年間学んできた学生李暁琳さんの話を聞きましょう。
「王先生の授業は面白いです。先生の豊かな社会の経験と関係があるかもしれません。勉強ってつまらないものだと思っていましたが、先生の場合はいつの授業も楽しく感じられるんです。」
北京から上海へ、外交官から、経営者、そして大学の先生にと、王さんは3つの人生を味わってきました。今、王さんは宿舎と教室を忙しく往復するという生活を送っています。
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