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年男と年女に聞く
   2008-02-19 15:37:45    cri

 今年はねずみ年です。年男と年女は、12の倍数の年齢になる人を指します。12才や24才、36才、48才などです。

 干支はもともと、中国から日本に伝わったもので、十干(じっかん)と十二支を組み合わせたものです。十干のた甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)などに、子、丑、寅などの十二支を順に組み合わせた、甲子(きのえね)から癸亥(みずのとい)まで60の組み合わせを作ります。これによって年・月・日・時刻・方角などを表します。ただ、中国の干支と日本の干支は、一つだけ違いがあります。辰年の竜を含めて11の動物は一緒ですが、日本のいのしし年は、中国ではぶた年です。

 さて、ここで、今日ご紹介するのは、60才の男性、北京の張思源さんと、36才の男性、天津の李艶津さん、それに、24才の女性、蘇州出身の浦奕安さんです。では、北京の張さんから始めましょう。

 張思源さんは今年、還暦を迎えます。つまり、5回目の年男となりました12才の時に過ごした旧正月を思い出した張さんは、次のように話しています。

 「そのころ、農村にいました。農村には、特にお正月の雰囲気があります。旧暦の12月に入りますと、家は忙しくなります。饅頭やお餅、黒糖の饅頭、肉まん、それに魚や肉料理などをつくります。」

 張さんが言ったのは、48年前の1960年のことです。新中国が成立してから11年目に入ったところです。国民の生活は以前よりだいぶよくなりました。張さんが紹介した料理は、お正月に欠かせないものでした。子供たちが一番楽しみにしていたのは、やはり廟会、縁日に行くことや爆竹を鳴らすことですね。張さんは、子供の頃のことを振り返って語りました。

 「各村にはかならず縁日がありました。それぞれ伝統的なものがあります。たとえば、竹馬に乗って芸を披露することとか、獅子舞とか。最も新年らしい雰囲気があるのは、やはり爆竹ですね。特に大晦日の夜の爆竹の音は、大きく響いてすごいです。」

 さて、張さんは2回目に年男になったのは、1972年でした。中国は文化大革命の真っ最中で、国民は生活に困っていました。物資が乏しかったため、全国で配給制が実施されました。張さんの家族は、配給された小麦粉を少しずつ貯めておいて、大晦日の夜に食べる餃子を作ったそうです。張さんは、次のように話しています。

 「お正月が待ち遠しかったです。その時は、大晦日の夜に餃子を食べることが一番の幸せだとさえ思いました。」

 今から36年前のことですが、そのころの苦労があったから、余計に今の豊かさを実感できるでしょう。

 次にご紹介する天津の李艶津さんは、その1972年に生まれました。ごく普通の家庭で育った李さんは、今でも1984年のお正月をはっきり覚えているそうです。12才の李さんは、台所で美味しい料理を作っているお母さんを見て喜びました。こっそり手を出して、料理を一口つまみ食いしたそうです。80年代には中国のお正月も豊かさが戻ってきました。美味しい料理のほか、李さんにとって印象深かったのは、はじめてカラーテレビで、「春節交歓の夕べ」という番組を見たことです。この番組はいわば日本の紅白歌合戦に当たります。李さんは、こう語りました。

 「84年に、家では14インチのカラーテレビを買いました。ですから、大晦日の夜は、たくさんの子供たちが家に来ました。わたしのクラスメートや友達、近くに住んでいた子供たちです…」

 李さんの自宅は、来る人でいっぱいになって、テレビを囲んだそうです。李さんは、「そんなににぎやかだったのは、その時限りだった」と振り返りました。ところで、それから12年経って1996年になると、李さんは、大学を卒業して北京の新聞社に就職しました。そのときは、お正月の前に、両親と姉へのプレゼントを買い、大晦日の夜、天津に帰省しました。李さんは、次のように話しています。

 「その時は、就職してからそう長くはありませんでした。お金は余りありませんでしたが、家族へのプレゼントを用意しました。両親と姉へのプレゼントに、一カ月分の給料を使いました。」

 この年、李さんの一家にめでたいことがありました。新居に引っ越したことです。天津市政府は、旧い住宅を改造するプロジェクトをスタートしました。もともと旧い平屋に住んでいた李さんの家族は、新築のマンションに引っ越しました。

 今年はどうなるでしょう。次にご紹介する浦奕安さんは今年24才になります。2月7日のお正月を控えて、北京で半年しか働いていない浦奕安さんは、蘇州の故郷に帰省することでちょっと焦っていました。浦さんは、今はものが豊かで何でも買えるから高額のプレゼントを買う必要はない、それより大晦日の前にふるさとに戻れるかが一番心配だと思いました。浦さんの話です。

 「ふるさとに帰ることを思うと、うれしくてたまりません。一年ぶりの帰省です。今年のお正月の期間中の交通機関は混雑するので、去年の12月に早々と航空券を予約しました。できるだけ早くふるさとに戻りたいと思いました。」

 浦さんの一家は、これまで大晦日の夕食を自宅で摂っていましたが、今年はレストランで食事をしました。そういえば、ここ数年、中国ではレストランで大晦日の食事をする家族が増えました。これは、豊かになったことの反映だと言えるでしょう。そして、料理の準備は大変だし、両親に苦労させたくないし、また、両親に美味しい料理を食べさせたいしといったことで、子供たちがお金を出して予約するケースが多いようです。一つの親孝行でもあるわけです。浦さんは、次のように話しました。

 「大晦日の夕食を作るのが面倒です。レストランで予約するのは簡単です。普段はみんな忙しくて会うチャンスがあまりありません。お正月は、レストランのテーブルを囲んで、みんなで、この1年をどう過ごしてきたのかなど、いろいろと話しができて、とても楽しいです。」

 60才、36才、24才と、年代の違う3人の話から時代の変わりようを感じますが、変わらないのは家族への思いですね。

 ご紹介した3人の年男と年女の人たちが、それぞれ新しい年の計画や夢を語ってくれました。

 今年、定年になる張さんは、定年後の生活を想像しました。張さんの話です。「書道が好きです。そして本を書きたいです。新しい年に、書道が上達するようにがんばります。また、一冊の本を出したいです。」

 36才の李さんは、家族と一緒にお正月を過ごしたあと、外国旅行に出かける予定です。李さんは、こう語りました。「わたしは、友達と一緒にインドネシアのバリ島に遊びに行きます。10日間の観光です。今、経済的な問題はないので、北京と違う季節を体験したいです。」

 24才の浦さんが望んでいるのは、両親と一緒に、北京オリンピックを観戦することです。浦さんは、次のように話しました。

 「今年、中国人が最も注目しているのは、なんといっても北京オリンピックです。両親に北京に来てもらって、オリンピックの雰囲気を感じさせたいです。」年配は年配らしく若者は若者らしい夢や計画でした。(文:藍暁芹)

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