呉征鎰さんは50年間を利用して、植物学の大著「中国植物誌」を編纂し、中国の植物が外国学者によって命名される歴史を終わらせました。呉征鎰さんは2007年中国国家最高科学技術賞を受賞しました。
今年92歳の高齢の呉征鎰さんは植物学の研究に従事し、45年間も使って「中国植物誌」を編纂しました。これについて呉さんは「『中国植物誌』は中国の植物を系統的に分類しました。例えば、人工栽培による稲と野生稲はどんな区別また、どんなつながりがあるかということです。また、どういう植物が中国と世界のどこに生えているか、その主な用途も記しており、世界最大規模の植物誌となっています」と言いました。
『中国植物誌』の編纂は1959年から始まり、2005年に全部出版され、合わせて126冊に分けられ、約5000万字で、中国に生える3万種類余りの植物が収まっています。中国の今後の生物多様性、生態環境の保護、植物の科学的利用に最も基本的な根拠を提供しました。
呉征鎰さんは1987年から主任編集者になり、『中国植物誌』の編集に大きな力を尽くしました。
数十年の科学研究によって、呉さんは豊かな植物知識を積み重ね、同業者に「植物コンピューター」と呼ばれています。しかし、植物に対する愛着は生まれつきのものとも言えます。呉さんは1916年に中国東部揚州のある知識分子の家庭に生まれ、家の前の花園はその子供時の楽園でした。これについて呉さんは「ちさい時、植物が好きでした。性格は静かで、時々一人で家の前にある大きな花園で遊びました。花園には大面積の食べられる竹・孟宗竹(もうそうちく)が生えていました。この竹は春、とくに雨の後、地面から一斉に目を出し、飛ぶように伸びています。それは不思議で、理解で来ませんでした」と話しました。
その好奇心と植物に対する濃厚な興味によって、呉さんは植物に対する認識を深め、多くの標本を収集しました。大学に入るとき、呉さんは植物学を研究しようと志を立て、清華大学生物学科に入りました。卒業後、雲南省のある大学で教鞭を取り、ここで、学術生活における重要な時期を送りました。
雲南省は植物が最も豊富なところで、植物の種類は全国の50%以上を占めています。ここで、呉さんは10年間をかかって、3万枚近いの植物カードをつくり、「中国植物誌」の編纂のため、貴重なデーターを準備しました。
1976年60歳になった呉さんは2回にわたって青海チベット高原に入って科学調査を行い、1982年、祁(き)連山を横渡って、新疆の草原や砂漠へ実地調査を行いました。1997年81歳の高齢になった呉さんは台湾へ植物調査をした後、野外での調査仕事を終えました。呉さんは植物学の研究にほぼ一生の心血を注ぎました。
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