パンダは中国の「国宝」と言われ、国中みんなに愛される人気者です。でも、そんなパンダの中にも「大スター」がいます。中国東南部の沿海地域にある福建省福州市に生息しているパンダ、バスちゃんです。実は、1990年、北京で開かれたアジア大会のマスコット「パンパン」のモデルもこのバスちゃんです。今年26歳のパンダ、バスちゃんは、人間の年齢でいえば、100歳以上になるそうです。かなりの年ではありますが、まだまだスタイルは衰えず、毛並みにも艶があって、色鮮やか。そして、いつでも頭をスクッと見上げて、堂々とした様子です。
このバスちゃんは、若い頃、大きな困難を乗り越えてきました。そして、実はそのときの『命の恩人』がいます。
その『命の恩人』である四川省の李興玉さんが、先日、バスちゃんを訪ねてきました。「バスちゃん、ママが来たんだよ。ほら、早く食べて、ママが故郷から来たんだよ。」李さんがバスちゃんの命を助けたのは20年前のことでした。当時のことを李さんは今でもはっきりと覚えています。
それは今から22年前、1984年2月のある日のこと。李さんの住む四川省宝興県は寒さが厳しく、その日は雪が降っていました。お昼過ぎ、李さんは、川辺で畑を耕していると、突然、川の上流から、"白と黒の塊"流れてくるのを目にしたのです。ドンブラコ、ドンブラコ…よく見ると、何と、その"白と黒の塊"はパンダです。李さんは、すぐさま河に入って行って、パンダを助け出しました。
冷たい水に流されてきたパンダは、その時すでに気を失っていました。李さんは、急いで、火を起こして、そして自らの綿入れを脱いでパンダを包みました。3時間、必死に温めてあげると、パンダはついに目を覚ましたのです。李さんは家に連れて帰って、とうもろこしの粉をお湯で溶いて、パンダに食べさせました。おなかがいっぱいになったパンダは次第に元気を取り戻していきました。
動けるようになったパンダは、むくっと起き上がると、今度は、近くにあった木によじ登りました。そして、そこから下りようとしません。集まってきた村の人々は、パンダが寒さで凍えないよう、木の下に火を起こしました。そして、一晩中、見張りをしていたそうです。
中国にはパンダを歌った歌が多くありますが、その一つ、パンダ、ミミちゃんの歌は「竹が花を咲かせた。パンダの食べ物はいよいよ無くなる。ミミちゃんをみんなで守ろう」と歌っていて、パンダを可愛がる気持ちが込められています。
この「河を流れてきたパンダ」も村人から可愛がられました。助けられた翌日、地元から40キロ離れた自然保護区に送られました。流れてきた河の"バス河"にちなんで「バスちゃん」と名前がつけられました。この「バス」は中国語で発音すると「basi」、これは数字の84と同じ発音で、助けられた"1984年"とも重なります。
また健康診断の結果、助けられた当時のバスちゃんが4歳だったことが分かりました。
翌1985年、バスちゃんは福州市のジャイアント・パンダ研究センターに送られました。職員が懸命に世話したおかげで、バスちゃんはすくすくと元気に育ちました。
センターの陳玉村主任はこのように言います。「バスちゃんが病気の時、健康診断をする時、いつも7、8人の医師、しかもそれぞれの部門の優れた医師が合同で任務に当たります。特に病気のときは、自らの仕事を一旦中止してパンダの治療に専念するんです。」
実は、この研究センターで、バスちゃんは多くの特技、芸を身につけました。ボールの上に置いた板の上に立ちバランスをとる、バスケットボールでシュートをする、重量挙げ、そして電話をかけるマネもできます。そして、様々なイベントで、バスちゃんはこの芸を披露しました。多くの人たちがバスちゃんの愛らしい芸を見て、大喜びし、歓声をあげました。バスちゃんは市内の人気者となり、その名を知らない人がいないほどになったのです。
そして、2年後の1987年、バスちゃんは招待を受けて、アメリカに渡りました。半年間に渡って行なわれたアメリカ公演でも多くの人たちが詰め掛け、「中国の国宝」はあっという間に、多くのファンを作ったのです。
1990年、アジア大会が北京で開かれました。その大会マスコットはバスちゃんをモデルとして作られました。開幕式にも招かれ、愛嬌のある姿を見せたバスちゃんは、中国だけでなく、アジアの人たちに知られるようになったのです。
今も、バスちゃんは多くの人々から愛されています。去年、バスちゃんは25歳の誕生日を迎えました。その日、マカオにあるパンダ保育協会の何偉添会長はわざわざ福州までお祝いに来ました。そして、バスちゃんのために写真集を出しました。何さんの話です。
「パンダの寿命は普通、12年ほどです。しかし、バスちゃんは26年・・・大変、長生きして…素晴らしいことですね。このことは、ジャイアントパンダの飼育における中国の技術の高さを示すものでもあります。これを世界各国に広めて行きたいと思っています。」
福州市民の一人、呂維長さんは、大のパンダ好きです。今年64歳の呂さんは、数年前からパンダに関するもののコレクションを始めました。パンダの図案が入ったマッチ、カード、切手、封筒など、その数およそ1000点。呂さんは先日、自らのコレクションを含めた「グッズ」を展示するパンダ展示館を開きました。パンダが好きな人たち、みんなに見てもらいたいということです。
「芸術館には、パンダの形をした石があります。もともとは、画家の陳大偉さんのコレクションでした。私がパンダ芸術館を開くことを知って、『あなたがすべてのコレクションを出すなら、私もこれを出す』といって、送ってくれたんです。芸術館の展示物の多くは、このようにして集まったものです。」
バスちゃんが長生きできたのは、こんな多くのパンダ好きの人たちの応援、そして関係者の努力の賜物といえるでしょう。バスちゃんは早くから高血圧が発見されて、その治療を受けています。また、高齢のため白内障にかかりましたが、その手術も受けています。医師や飼育担当者が熱心に世話をしたからこそ、バスちゃんは長生きしているのです。
バスちゃんを始めとするパンダは私達中国人の誇りでもあります。これからもパンダは、その愛らしい姿で多くの人たちを虜にし、また『友好の使者』として、大切な役割を果たしてくれるに違いありません。
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