中国大陸大規模の自動車メーカー、神竜自動車会社は、フランスのプジョー・シトロエン・グループと中国東風自動車会社の合弁による会社です。これは、フランスが中国に置いた最大の投資プロジェクトであり、ここで作られるシトロエンやピカソなどの車は中国で広く知られ、多くのファンを持っています。
ここには多くのフランス人が勤めています。今回登場するのは、この会社に勤めているフランス人の一人、レブランオさんです。
レブランオさんは、神竜自動車会社が、中部・湖北省の中心地・武漢市に置いた製造工場のフランス側工場長です。11年前、会社の発足当初、中国のことはあまり知られておらず、フランスから遠く離れていることで、中国への赴任希望者はほとんどいませんでした。しかし、未知の国での市場開拓に面白みを感じたレブランオさんは、中国赴任を自ら願い出たといいます。
中国に来た当初、レブランオさんは武漢から300キロ離れた襄樊にある工場に勤めていました。襄樊は「三国誌」にも出てくる歴史の古い街ですが、経済的な発展は遅れています。当時、工場の建物もまだ完成しておらず、その予定地は一面が荒地でした。従業員60人のうち、フランス人はレブランオさん一人しかいません。
それから三年間、レブランオさんは中国人スタッフとともに工場の発展に尽くしてきました。従業員は60人から1000人に増え、自社の自動車に使用するすべての規格のエンジンを生産できるようになったのです。
レブランオさんは、中国滞在中に、この国の急速な発展この目で見てきました。
「中国は本当に発展が早い国です。変化のスピードがすごい。道路も広くなってるし、高速道路や立体交差橋もどんどん新しく出ています。各業界の企業はいずれも急速に伸びています。もちろん、自動車業界も急速に発展しています」
1998年、レブランオさんは、三年間の任期が満了し、フランスに帰国することになりました。帰国したら、いつ中国に来ることが出来るかわかりません。レブランオさんだけでなく、当時、一緒に来ていた奥さんと三人の子供も中国が大好きになっていました。毎日ショッピングに出て、中国家具やインテリアなどたくさん買いこんで、帰りのお土産は30立方メートルのコンテナ一杯になったそうです。
帰国したレブランオさんですが、中国のことに片時も忘れられません。テレビや新聞で、中国に関する報道があるとチェックせずにはいられませんでした。そこに映し出される中国の発展、そして自らが立ち上げた神竜自動車会社の発展に大きな喜びを感じる毎日でした。
中国の神竜自動車会社の発展によって、社内でも中国への赴任は一つの誇りとなりました。誰もが中国に行って仕事をしたいと思うようになったのです。ただ会社の規定では、一人一回しか中国赴任はかないません。しかし、神竜立ち上げの功労者、レブランオさんは例外でした。2005年、念願かなって、レブランオさんは、再び中国の大地を踏みました。
2005年5月、今度は武漢自動車工場の工場長として、再びの赴任です。今回は10年前より、大きなプレッシャーを感じるそうです。競争相手がほとんどなかった10年前と違い、中国の自動車市場は世界の大手メーカーの群雄割拠となっており、激烈な競争が繰り広げられていました。この競争に負けないよう、会社は中国市場に精通したレブランオさんを再度派遣したというわけです。
毎朝8時の定例ミーティングが終わると、レブランオさんは生産現場へ足を運び、何か問題があれば、技術者と一緒にその場で解決します。
中国の人々の需要に応え、会社では、新しい車種をどんどん出しています。何事もチャレンジが好きなレブランオさんはこのように言います。
「新しい物を作る、新しい業界、新しい車種を作り出すことが私たちにとって励みになります。新しい車種が中国の人々に喜んでもらえるのが、とても光栄なんです」
フランス人はロマンチストだと言われますが、レブランオさんはどうでしょう。通訳を務める王さんは彼を「真面目で仕事熱心で、でもスタッフに優しく、相手の立場になって考えることができる人」という印象を持っています。
王さんの話です。
「通訳や秘書の仕事にも必ずミスが出ます。レブランオさんはいつも理解してくださいます。注意してくれますけど、非難はしません。心の中で非常にすまないと思いますけど、緊張せずに、次の仕事に臨めます。よく彼に冗談を言います。『来たばかりの頃はハンサムだったのに』と。だって、その頃は若くて、痩せていましたから。彼は『今はハンサムじゃないのか。おなかが大きくなっただけさ、今は可愛いだろう?』と言い返します」
暇な時、レブランオさんはいつもスタッフとおしゃべりを楽しんだり、いっしょにトランプをしたりします。中国側の責任者、王トウさんは、レブランオさんのことを「魅力ある立派な人」だといいます。何か問題が出ても、焦らず、人を攻めないから、彼の下で仕事をするのは心地良いそうです。それが彼の仕事のやり方だと思うと、王さんは言います。
レブランオさんのことをスタッフは名前の前に「老」という字をつけて、中国式の尊敬を込めて呼んでいます。本人もこの名前が気に入っています。
「このような呼び方は親しい間柄を表します。『老』とは言うけど、実はそれほど年は取ってないんですよ。」
中国での暮らしは豊かです。週末には、奥さんと一緒に中古品市場を回るのが楽しみです。中国の古い家具やインテリアが好きだそうです。
「中国の木製品とフランスのとは随分違いますね。こういうものは、フランスではまず見つからない。私はこんな手の込んだ工芸品が大好きです。これこそが、中国文化の一部ですからね」
会社には今、レブランオさんと同じフランス人スタッフは100人を超えています。彼らも、レブランオさんに習って、仕事の傍ら、中国に対する理解を深めています。
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