中国の祝祭日は西暦から定められたものもあれば、古くからの暦、つまり旧暦で定められたものもあります。後者のうち、もっとも大切な祝祭日が三つあります。旧正月、旧暦1月15日の団子の節句、それに旧暦5月5日の端午の節句です。こうした旧暦の祝祭日は、中国の人々の気候風土や生活習慣に密接に関わり、中国独特の文化といえます。
「端午の節句」には食卓に粽(ちまき)が並びます。中国の粽は日本のものと少し異なります。もち米やうるち米で作った餅をササの葉などで巻き、蒸したり茹でたりして食します。日本のものは、米粒が形をとどめていないものが多いですが、中国では、米の形が残っていて、またナツメや肉類などの具が入っているのが一般的です。
「端午の節句」の起源は、有名な"愛国詩人"「屈原」を記念するためだといわれ、その歴史は2200年ほど前に遡ります。当時、中国全土は数多くの小さな国々が群雄割拠し、互いに争う戦国時代でした。中国中部の楚国に、当時の政府高官で、詩人としても知られる屈原がいました。今でいう「改革派」だった屈原は、腐敗した貴族のグループと激しく対立し、無実の罪に陥れられ、流刑に処されました。その後、楚国は他国に侵略され、併合されました。それを知った屈原は悲しみのあげく、5月5日に汨羅江(川の名前)に飛び込んで自殺しました。それを知った人々は、魚が屈原の体を蝕まないようにするため、川の中に「ちまき」を投げ落としたそうです。これがその後も伝わり、現在も、端午の節句になると「ちまき」を食べる習慣が出来たといいます。
「端午」の「午」は元々「五」で、「端五」はつまり、五日という意味です。
端午の節句には、粽(ちまき)を食べる他、各地によって様々な風習があります。竜をかたどったボートで対戦する「竜船レース」が行われたり、南方ではヨモギとショウブを軒先にかける、毒よけに特製のお酒を飲む、茹でた卵を赤い糸で編んだ袋に入れて、それを子供たちが首にぶら下げる・・などといったものです。
そして、この時期は春の終わり、夏の始まりでもあります。北方ではさくらんぼや桑の実、南方ではレイシ、枇杷が出回り、市場の果物が次第に豊富になります。ですから、ある地域では、この日に旬の果物、さくらんぼや桑の実を食べる習慣があり、そうすると、病気にならないといわれます。
今年の「端午の節句」は5月31日水曜日でした。スーパーには粽(ちまき)が山と積まれ、また街角には手作り用の笹の葉も売られるなど、自家製ちまきを食べる人も多いようです。日本のように休日ではありませんが、中国人みんなが楽しみにしている祝日の一つなのです。
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