黒い服が好きだという湯建華さん。
小柄で長い髪を後ろでとめています。深遠な目つき、物静かな人です。
「私がうまく出来ないことは三つ。だが、出来ることが一つある」と湯さんは言います。
出来ないのは、おしゃべり、他人との付き合い、友達づくり。そして唯一出来るのは陶器を作ること、だそうです。
「だから陶器は私の言葉です」と湯さんは続けます。
1966年、湯さんは浙江省遂昌県九龍山という山の麓にある小さな村に生まれました。
上海の南にある浙江省の中南部に位置する遂昌県は、山あり川あり、自然に恵まれたところです。
湯さんは小さい頃から、絵の才能があり、17才の時、彼の作品が全国コンクールで優秀賞を受賞しました。その後、杭州や北京の美術学院での勉強を経て、工芸の道を歩み始めました。そして1990年、湯さんは、故郷の土に呼び戻されるように、遂昌県に帰り、陶器の製作に専念し始めました。
遂昌県の土は、「黒陶」という陶器の製作に適します。60年前、浙江省の省都・杭州の近くにある良渚鎮で、今から4000年から5300年前に長江流域に広がっていた稲作文化の遺跡が発見され、「良渚文化」と名付けられました。そこで、「黒陶」と呼ばれる陶器が出土しました。「黒陶」は土に植物繊維を混ぜることで、焼くと黒っぽくなる特徴があります。湯さんは、その厳かで重々しい様子、そして神秘さに魅了されました。
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好川文化遺跡 |
出土した黒陶 |
元々、芸術の才能にあふれる湯さんはメキメキ腕を上げ、3年後には、作品が、当時来中したアメリカ大統領へのプレゼントに選ばれるまでになったのです。
しかし、湯さんには自分の作品に大きな不満がありました。近、現代において、中国各地で製作されている「黒陶」は、技法の限界により、水を入れると漏れてしまい、実用性は全くなく、観賞用の芸術品でしかありませんでした。しかし、数千年前の先人たちは、日用品として「黒陶」を使っていたのです。湯さんは今後の芸術家人生を「黒陶」の実用に傾けることを決心しました。そのために、「黒陶」製作に没頭し、様々な技法を試し、失敗を重ねてきたのです。
ちょうどその頃、1997年のことでした。彼の生まれた村である遂昌県の好川村で、良渚文化とほぼ同じ時代の出土品が数多く出てきました。その中に、「黒陶」もあったのです。「村の先人たちも、かつて黒陶を作り、使っていた・・」それを知った時、この長い歴史を持つ美しい器に一層の愛情が沸いてきました。
でも、一方で大きな悲しみも感じたそうです。「黒陶」を日用品にできないということは、4000年前の人々に負けたことになるのです。湯さんは、「もっとがんばらなければ」と自分に言い聞かせました。
そして15年後、その努力が実りました。去年、湯さんは「黒陶」の実用化に成功。現在、製作法に関する特許も手続き中です。
湯さんはにっこりと微笑んでこう言いました。
「土には、命がある。だって我々もいつか土に帰っていくからね。」
4000年の長い伝統を持つ「黒陶」作りに命をかける湯さん。職人としての限りない美と実用性の追求はまだまだ続きます。
(PS:湯建華さんのホームページ:www.panguht.com)
(文:藍暁芹)
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