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「かつて毛主席の警護を務めた」王松さん
   2006-04-24 13:25:34    cri

 前回ご紹介した毛主席の元警護員「王松」さん。笑顔が素敵でお話が上手な王さんの口からは、農村から北京に初めてやってきた時のことや厳しい軍隊生活のことなど、現代に生きる私たちでは想像もつかないお話が次々に出てきました。今回は、そんな王さんのエピソードをいくつかお伝えします。今では穏やかに普通の生活を北京でおくっている王志松さんのお話です。

 エピソード1:謎の行き先?!

 1964年の春、二年に一度行われる「徴兵」が中国全土で始まりました。王さんはずっと解放軍を憧れていましましたから迷わず、応募したそうです。

 王さんの話では、山東省全部で2000人あまりの応募があったそうですが、合格したのは200人。つまり軍に志願するのに10倍の競争率があったのです。そして、なぜかその200人から、また20人が選ばれました。王さんもこの中に入っていたのです。

 合格が言い渡された直後、この20人には「荷物を整理して、午後ここを離れる」という命令が下りました。準備もまだろくにしないまま、そして行き先さえ知らないまま、王さんは故郷と別れ、駅に向かったのです。

 汽車に乗る直前、見送りに来た山東省「徴兵会」の会長さんが王さんの肩を叩いて、「あなた達はこれから、すごい所に行くのだ!!大切な仕事をやるのだ!!頑張ってくれ!!故郷を忘れるな!!山東省に恥をかかるな!!!」と興奮気味に言ったそうです。そのとき、王さんには会長さんの言葉の意味が良く分かりませんでした。

 いったいどこへ行って、何をやるのだろう?

 王さんは何度も隊長に聞きました。しかし全く教えてくれなかったそうです。行き先が全く分からず汽車に乗って3日目。ある途中駅で、一人の将校がやってきて、驚くべきことを王さんに宣告したのです。

 「中南海の警護を命ずる!」

 行き先の分からない旅の目的地・・それは毛主席をはじめ国家の指導者たちが住む政治の中心舞台、中南海・・だったのです。

 エピソード2:宋慶齢副主席のソファー

 農村で生まれ育った王さんにとって北京にある全てのものが新鮮でした。初めて見た鉄筋ビル、大きな駅、都会を行き交う大勢の人たち・・。そして初めて着た軍服、腰に差した拳銃・・。

 これは厳しい訓練が終わって、中南海での勤務が始まったばかりのころのエピソードです。

 この日、王さん達は宋慶齢副主席の家の警備についていました。宋副主席が住むのは四階建てのきれいな家屋です。

 隊長は彼らに、かたく申し付けました。

 「勤務中、家の中のものは一切触ってはならない!」

 王さんが警備するのは二階の左側の部屋。二階は客間として使っています。お客さんがいない日は、ここはとても静か。ところが、隣の部屋から急に泣き声が聞こえてきたのです。泣き声の主は同僚の劉さんらしい・・。王さんが急いで向かうと、劉さんは角に座って泣いていました。

 「どうした?」と聞くと、「副主席の椅子を壊してしまった!どうしよう?どうしよう?」と大変なあせりよう。そして部屋にある椅子を指差しました。「どうしても座ってみたくて・・でも座った瞬間にお尻がドスンと落ちて、壊れてしまったんだ。」王さんも思わず泣きそうになりました。それはそうです。家の中の家具はどれも高価なものばかり。これを壊したとなれば、二人の一年分の給料を合わせても弁償できる額ではありません。

 でもこのままにしておくわけにはいきません。二人はやむなく隊長に正直に伝えることにしました。部屋にやってきた隊長に事の次第を話した二人。隊長はその椅子を見てニヤッと笑い、一言。「大丈夫。しかし、これからは絶対触るなよ!!」と言い残して去っていきました。

 きついお仕置きを覚悟していた二人・・しばらくの間、ぽかんとして、そしてほっと一息・・「よかった・・処分を受けなくて・・。」 

 実は彼らは知らなかったのです。劉さんが座ったのが、体が吸い込まれるようにフワフワの「ソファー」というものだったことを。なぜなら、二人とも「ソファー」なんて生まれてこのかた、見たこともなかったですから。 

 エピソード3:地獄のような野営訓練

 解放軍の一員となった王さんたち。その訓練は地獄のように厳しいといわれています。その中で一番つらいのは一ヶ月間にわたる北京から山西省への「行軍訓練」です。

 王さんたちは一ヶ月間で、2000キロあまりを歩きました。実は、北京から山西までの距離は700キロ。でも、彼らは訓練のためわざわざ回り道させられ、山を登ったり、河を渡ったりして、過酷な行軍訓練が課されました。

 最初の五日間は一日30キロを歩いて、もうくたくた。しかし、10日後には、体力もついてきて、一日80キロを歩くのも朝飯前となりました。でも、最後の一日は地獄のようだったそうです。朝4時に出発して、18時間で120キロを走破しなければなりません。

 「3割の人が脱落しました。でも私は無事に完走したよ!」と王さんは自慢気に話します。このときに養った強靭な精神力は、後の人生に大いに役立ったという王さん。その後、郵便局の仕事につき、役人として国につくしてきました。

 そんな王さんも、4月17日、60歳の誕生日を迎え、長年勤めた職場を『卒業』。でも、体も心もまだまだ元気な王さんは、これからの「第2の人生」でもやりたいことがいっぱいです。

 北京で穏やかに定年生活を送る『普通の人』王松さん。でもその人生にはたくさんの貴重な体験、そして苦労があったのです。

今週、この人
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