ラオボータウは60歳。息子夫婦と孫たちと同居する大家族で、以前は人民公社の幹部でした。その後、村落に戻り、普通の農民に復帰。学校に通ったことはなく、漢語の読み書きは不得意だが、子供時代は村の寺院で修行していたため、ダイ族の文字の読み書きはできます。
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村は寺院を中心に作られている。 |
村の朝。野菜の下ごしらえをする女たち |
今は村の清掃員として、早く起床して、寺院や村の道路の掃除をし、観光客を迎える準備をします。月収約400元。午後は自転車に乗り、薬草を探しに出かけ、夜や休日はいつも患者さんの治療に奔走しているようです。
ラオボータウは「忙しくて目が回わり死にそうだよ」と笑いながら、話していました。
「しかし、仕方がない。私がやらなければ、患者さんが困るからね。病院だと治らない時もあるし」と、思いがけない発言が飛び出しました。彼は自分の治療法と病院との違いについて説明しました。
「病院は、まず、患者が自ら行かなければならないよ。しかし、私は声がかかれば、患者の自宅まで往診に行く。それから病院は、治るかどうかという問題に関係なく、お金を支払わなければならないが、私は先ず治療をするよ。治ったら、それ相応の治療費をもらうだけだ。決して高いお金をもらうことはないし、治療時間や、使った薬草によって、代金は決めるんだ。それにしても、最近、薬草は見つかりにくくなったなあ!」
聞くところによれば、病人の多くは骨折等の外科系や目のただれなど感染によるもののようです。一方、医術の勉強に関しては、決して村人が噂されているほど、天から授けられたものではなく、それなりに医術に精通している人に伝授されたり、独学で会得したもののようです。
話を聞き終わり、呪術を医療法に取り入れるラオボータウにまつわることが、分かってきました。この村の周辺には、彼のようにして患者を診察できるラオボータウが何人もいるようです。
彼らの存在と活躍は、中国農村部の医療施設の不備という側面を暴きだしています。過疎地や農村などでは、住民が利用しやすく、しかも、信頼できる医療施設を整えるという課題が残っているようです。
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