「そうですね。父は自分がプロの役者ではないが、どうすればプロの役者が育成できるかがよくわかっていて、厳しく指導してくれました。これに関しておもしろいエピソードもありましたよ。9歳の時、親戚のおばさんが黄色のセーターを僕に贈ってくれて、デザインが可愛くて好きになってどうしようもなく、毎日このセーターを着て稽古をしました。毎朝の稽古は10分ほどの逆立ちから始まります。」
「役柄は『老生』なのに、逆立ちも必要ですか?」
「そうですよ。基礎的な修業なので、京劇の新人役者にとっては、しなければならないことで、たっだ9歳の僕にとって、とてもつらいことでした。毎朝その黄色のセーターを着て逆立ちして、つらくてもつらくても歯でセーターの襟を噛んで我慢しました。長い時間が経つうちに、襟のところがだんだん抜けてしまいました。週末、家に帰るとき、母はそれを気づき、すぐ僕がセーターを噛んで我慢したゆえだとわかって、僕を抱いて涙に咽びました」
「お父さんはそのことを知りましたか?」
「うん、知ったことは知ったが、何も言いませんでした。父は厳しくて無口の人であり、あまり笑った覚えもありませんでした」
「こんなにつらかったのに、嫌だと思ったり、諦めようと考えたことがありましたか?」
「考えたりしませんでした。子供の頃、僕はとても利口で、よく両親の言うことを聞き、今までも、父を恐れていますよ。しかも、いつの頃から、僕はすでに『京劇』という烙印を押されていたような気がしました。その後、山東省劇曲学校を卒業し、僕は北京の中国劇曲学院入試を試してみようと両親と相談しました。父は支持してくれましたが、母は僕を遠くに行かせたがらないので、あまり賛成しませんでした。『もう子供ではないから、やらせてみたら』と、父が母を説得して、やっと母はうなずいてくれました」
「その後、ご両親は張凱さんのお供で北京に来ましたか?」
「いいえ、大学入試は始めから終わりまでも僕が1人でした」
「両親は心配しませんでしたか?」
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