会員登録

青年交流にかけた思い~顔が見える交流が一番

2009-10-02 10:08:18     cri    
 日本・中国青年親善交流事業の第31回派遣団はこのほど15日間にわたる訪中日程を終え、日本に帰国しました。中日平和友好条約締結を記念するため、1979年から、日本内閣府と中国の中華全国青年連合会の共同実施でスタートしたこの交流活動は、今年ですでに30年の歴史を数えます。
 今回派遣団は元ルクセンブルク大使で、元迎賓館館長の安藤昌弘さんが団長を務め、日本全国から25人が参加して、北京、山西、寧夏などを訪れ、企業訪問や緑化プロジェクトの見学、中国人大学生との交流会などが行われました。
 帰国前夜(9月21日)、北京で、中日両国の同事業の体験者との交流会が行われましたので、参加者たちに思いを聞いてみました。
              念入りにデザインした第31回中国派遣団の名刺

きっかけは様々        

 公務員から、会社員、大学生、団員の顔ぶれは様々です。誰もが前向きで、交流に意欲的な様子が強く印象に残りました。交流事業に参加したきっかけや理由について聞いてみました。

 【京都大学経済学部・森成徳さん】
 中国は大きな国で、世界経済の中の一つのファクターです。今年2月に初めて中国を旅行し、面白かったので、もっと中国のことを知りたくなって応募しました。

 【福岡税関・水上理恵さん】
 仕事上、中国の方たちと接するチャンスが多いのですが、訪中したのは初めてです。中国の人たちは、実際にはどのような方たちなのかを知りたくて参加しました。

 【明治学院大学・渡辺由里香さん】
 北京で1年間留学したことがありますが、留学と異なった体験ができるため申し込みました。

 【東京都多摩市公務員・伊藤洋平さん】
 ずっと中国語に興味があり、言葉を通して中国の文化をもっと知りたいという思いを抱いて参加しました。

 他には、世界的視点で中国を観察したいという団員もいました。慶応大学の太田淳也さんは、「世界各地を旅行や留学で訪れた時、現地で華人の方たちに数多く出会いました」ことがきっかけで、「華人の視点から見たグローバル化とは何かに、興味があって参加しました」と話してくれました。

 さらに、「偶然」に参加した交流活動が中国をもっと知りたくなったきっかけになったという団員もいます。

 関西大学の深田智世さんは2年前に、大阪府主催の交流事業で初めて訪中したのですが、当時に比べて、今、自分自身の中国への目線に大きな変化があると話してくれました。

 「2年前は、ただ国際交流に興味があって申し込みました。行き先が偶然中国になり、中国にほとんど興味がなかった私ですが、訪問がきっかけで、どっぷりはまるようになりました。自らのこうしたギャップに気づき、中国に対する理解をステップアップして、もう一度、派遣事業でしか経験できないことを経験したくて申し込みました」と、ソフトながら、しっかりした声で語っていました。

 団員の中で、中国人も顔負けするほど、流暢な中国語を話していた人もいました。小学校時代、4年間北京で暮らしていた神田文さん(同志社大学公共政策修士2年)です。

 「小学校での滞在経験を最大限に生かせる立場、日本政府を代表として参加できることに意義があります」と目を輝かせました。

 団員たちの豊かな個性が印象に残りました。また、参加の理由も実に様々でしたが、自分に正直な気持ちで、中国と中国人をもっと知りたいという純粋な気持ちが共通しているようでした。

■「根っこが同じだ」と発見

 日中両国の青年親善交流事業は毎年、両国でそれぞれ派遣団を召集して派遣しています。毎回、団の発足とともに、団員全体の叡智を凝縮したキャッチフレーズが決まります。今回の派遣団のキーワードは「「以心伝心、心心相印~心重ねてともに未来へ」。

 果たして、訪問を終えて、どのような感想を抱いているのでしょうか。団員たちの感想です。

 京都府の森成徳さんは山西省大同市での環境緑化の視察を振り返り、「貧困改善と緑化の両立を目指す取り組みに感銘を受け、参考になりました」と満足げな表情を浮かべました。 

 東京都多摩市の伊藤洋平さんは、民間企業を訪れた時、「企業は社会のためにある」と語った社長の言葉に感銘を受け、今の日本では聞かなくなった発言だと話しました。

 こうした具体的なプロジェクトや企業で受けたイメージもあれば、現地の人々との触れ合いで受けた感動も多かったようです。

 山西大学での中国人学生との交流会から刺激を受けた、大阪府の深田智世さんは、「中国の大学生は、中国について質問すると、何でも答えてくれました。自分の国に誇りを持っているところが、日本と一番違っています」と言い、東京の大田淳也さんは「中国の大学生は勉強熱心で、海外留学したい希望をもっている人が多いが、日本人学生と違って、実際に行ける人が少ないようです。こういう差を知って、自分もより頑張らなくちゃと思いました」と話しました。

 また、中国で暖かい歓迎を受けたことに感銘を受け、中日は違いがありながらも、共通しているところもあると思いを新たにした団員も多かったようです。

 副団長でもある林亜有子さんは、「(人々が)本当に心を込めて受け入れてくださったことが身にしみました。中国の方たちと長くお付き合いして行きたいと思います」と微笑んでいました。

 福岡県の水上理恵さんは、都市部と農村部の人々の対日イメージを知りたくて応募したようですが、「都市でも農村でも人々は友好的に接してくれました。帰国後、皆さんの気持ちに応えて、自分も頑張っていきたいです」と話し、「山西や寧夏は日本と遥か離れているのに、食事も文化も似ていると感じました。根底が一緒なのだなと思えました」と感銘を受けた様子でした。

 一方、慶応大学修士2年の太田淳也さんは「15日間だけでは、断片中の断片しか中国を把握できていません」と未練を残したものの、「日本人と中国人は違いがあるものの、根っこが同じところにあることに気づきました」と実感のこもった発言をしました。

 ちなみに、中国から帰国後、またすぐに中国留学に戻る予定の団員もいます。訪問団団員名刺の裏に、笹を食べているパンダのイラストを描いた青山さんです。これまで、7年間、能の稽古を続けてきた青山さんは、今回も一連の交流会で能の実演を披露して大活躍しました。10月からは、中国絵画の勉強に杭州での留学が決まったといいます。

 青年交流は、より深く、より広い大きな相互理解の窓を開けたといえます。

 「訪問日程はこれで終わりましたが、中国人との交流はこれからなのです。」

 安藤昌弘団長が交流会で語った言葉でした。まさにそれを裏付けた団員たちの感想でした。

 昨年末、第30回の派遣団で訪日した中国青少年発展基金会の楊暁禹常務副秘書長は自らの訪日体験で受けた感動を振り返り、「インターネットの時代とは言え、やはりお互いに顔が見える交流が何よりです」と、交流の意義を語りました。

■国民の相互理解への期待

安藤昌弘団長

 安藤昌弘団長によりますと、日本における青年交流事業は1959年の皇太子ご成婚を記念してスタートしたもので、すでに50年の歴史があります。この中には、1974年からスタートした「青年の船事業」も含まれ、中国や韓国との交流が重要な位置を占めています。交流事業の体験者は全国各地に分布しており、その数は1万数千人に達しています。

 安藤団長は青年交流事業を「種をまき、育て、発芽させ、花を咲かせ、実を実らせる息の長い仕事」と例え、「アジア、あるいは中国に自分の親しい人ができて、何かあるときに互いに連絡を取り合っていく。そういうものがどんどん広がっていけば、相互理解と友好親善が深められ、交流も進んでいきます」と話しました。また、かつて、青年交流に参加した団員たちは、その後も同窓会などをつくって、連絡を保ち続けていることを「まさに最初に期待していた事業目的です」と、顔をほころばせました。

 一方、中日の青年交流に大きな期待を寄せているのは日本だけではありません。中華青年連合会の倪健主席補佐は、「これまでの30年、中国も発展してきましたが、日本も発展がありました。青年たちの理解が深まるかどうかは、国民の相互理解につながっています。今後とも交流が一層深めていけたらと思っています」と熱く語りました。(王小燕)

関連ニュース
写真トピックス
コメント
今週の番組
今日熱点
快楽学唱中文歌
特集ダイジェスト
LINKS