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担当:王小燕、高橋恵子
今回は番組担当のつばめと同年代の日本人女性・吉野綾子さんにお話を伺います。現在は日本を拠点に、フリーランスで中国語と日本語の翻訳をしている吉野さんは、この1月半ばまで日本人専門家としてCRI日本語部に勤務し、中国語講座や旅番組などを担当していました。
出身は岩手県。大学時代は憧れの京都で過ごし、就職後は生活の舞台を東京に変え10年間を過ごしました。社会人になったのは、日本のバブルがはじけた直後とは言え、仕事のチャンスには困りませんでした。変化し続ける日本社会を生きながら、ある時満足できない自分がいることに気づきました。東京で複数の企業でキャリアを積みましたが、「人生で一度は海外で生活してみたい」という前からの願望をかなえるべく、日本語教師の資格を取得後、05年から北京暮らしを始めました。
一方、中国とのかかわりは大学時代に遡ります。考古学ゆかりの重要文化財保護学科を専攻に選び、中国と濃厚な付き合いがある恩師からの影響もあったと言います。
中国語が話せるわけではありませんでしたが、「行けば何とかなる」という楽天派。インターネットで日本語教師の仕事を見つけ北京へとやって来ました。教師の仕事は準備には時間がかかりましたが、教え子たちが短期間で進歩する姿を目にし、「たいへんやりがいを感じた」と言います。その後、企業の教育担当に転職し、上司から中国人の部下を3人つけてもらっての出発でしたが、ある時部下の面子を傷つけてしまい部下から"無視される"ことを経験。まさに中国紹介本によくある事例をそのまま地で行ってしまいました。
しかし、そういう時にこそ鍛えられた大人の対応で切り抜けました。様々なハプニングに挫けることなく、「毎日が頭のトレーニングだ」と考え、異文化との交流を楽しみながら、そのコツをじっくりと模索し続けてきました。
8年間の中国滞在を振り返り、「5年目になってからようやく物事の様子がつかめ、それまで日本の物差ししかなかった自分には、初めて中国の物差しが分かるようになった」と言います。
そして「8年間、吸収し続けてきましたが、今度は吸収したものを還元したい。中国に来て、たくさん与えられた宝物のような経験のおかげで、フリーランスの翻訳家という仕事を選ぶ勇気が湧いてきた。今度は自分の中に増えた中国の物差しを合わせ持ちながら、日本で頑張っていく」と新生活への意気込みを聞かせてくれました。
自分の内なる声に常に正直に向き合い、未知を恐れず、考えることを怠らず頑張ってきた吉野綾子さん。大人の女性の魅力に溢れた今回のインタビューでした。ぜひお聞きください。(Yan)
【プロフィール】吉野綾子(よしの あやこ)さん
岩手県出身。企業勤務を経て、かねてより興味のあった中国で働くことを決意。
北京で日本語教師、日系企業勤務を経て日本人専門家としてCRIで就業。
2014年1月、CRIでの4年半の契約を終えて帰国。
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