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日本人スタッフのつぶやき213-枇杷膏的記憶・始(6)

2012-12-20 08:56:14     cri    

 (中原の「つぶやき」コーナーは、その半生を北京で過ごした一日本人のちょっとした物語となっています)

 北京到着の翌日、腹ごしらえがてら初めて歩いた北京の町。

 特に私たちの目を引いたのは、一風変わったマネキンたちだった。

 頭からほおっかむりのような薄い布をかぶっていたり、もんぺのような微妙な丈のズボンにくるぶしまでのストッキングを履いていたり、首が妙な方向を向いていて、体全体が斜め後ろに傾いていたり。なんともやる気のない看板娘たち(=マネキン)。それがなんだか親しみやすくも感じたのだけど。

 そう、民営化がそこまで進んでいなかった当時の中国では、"ディスプレイ"というのはあまりセールスの助けにはならなかったのだ。そもそも"ディスプレイ"という概念はどこから始まったのかというと、おそらく外資系小売店の進出に伴うものだったように思う。

 私たちが北京に来た1993年、北京のショッピングモールと言えば、ルフトハンザとヤオハンだった。ヤオハンは1992年に外資系として初めて中国の小売市場に参入し、 その後1990年代後半からの10年で、外資系大手小売企業が次々に中国市場になだれ込んだ。1995年にはカルフールとウォルマート、1996年にはイトーヨーカ堂、そしてその後にオーシャンやIKEAなどが続く。

 中国企業の民営化はと言えば、1995年に開かれた中国共産党第14期中央委員会第5回全体会議で、「国有企業の戦略的な再編を実施する」との方針が打ち出され、その後1997年の第15回党大会で「国有経済の戦略的な再編と調整」の下に「抓大放小」政策(大型国有企業の管理強化と小型国有企業の自由化政策)が打ち出され、これを皮切りに、小型国有企業の民営化が急ピッチで進んだ。

 そして2004年、『外商投資商業領域管理弁法』の公布で投資が緩和された事により、外資系小売企業の中国進出が加速し、合併や買収などを経て規模が拡大していった。

 こうした背景が民営化の進む中国企業にさまざまなマーケティングの手法をもたらし、ディスプレイや利便性、衛生面、サービスなどが瞬く間に改善されていったのだ。

 あれから20年が経ち、今や町はオシャレ・マネキンにあふれていて、気取った看板娘(=マネキン)たちはちょっと、私には近寄り難い雰囲気をかもし出しているのだった。

 ~つづく~

 (この物語はフィクションです。独断と偏見的解釈もあくまでストーリーとしてお楽しみください)

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