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日本人スタッフのつぶやき206~枇杷膏的記憶・始(6)

2012-11-26 11:12:22     cri    

 (中原の「つぶやき」コーナーは、その半生を北京で過ごした一日本人のちょっとした物語となっています)

 

 1993年6月。初めての北京の朝。

 「まずは腹ごしらえを」と向かったのは所謂スーパーマーケット。何せ私たちの新居はその時点でガスも出ず、お湯も出ず、冷蔵庫などの家具もない状態。とにかく日持ちのいい食糧と、簡単な調理をするための「電熱器」(今では爆発的に普及しているホットプレートだが、それが驚くほどの高値で登場したのが1997年とか1998年辺りだったと記憶している)を購入する事が先決だったのだ。

 腹が減っては戦ができぬ。

 中国のスーパーに足を踏み入れた私たちがまずビックリしたのは、インスタントラーメンが1種類しか売られていない事!「康師傅」というブランドの、「紅焼牛肉」味。ファストフード大国・ニッポンからはるばるやってきた私たちには、信じがたい事実であった(しかも袋入り限定。カップものは無かった)。

 そして、スーパーなのに野菜が売っていない事!何でも、野菜は市場で買うものなのだと言う。そう、今ではどのスーパーでもパック詰めの野菜が当たり前のように売られているが、当時の北京でパック詰めの野菜が売っていたのは「ルフトハンザ」などの外国人が集う高級百貨店。

 じゃあ一体スーパーには何が売っているのかというと、肉まんやら揚げパンやらのお惣菜、量り売りのお菓子やスパイス、それから日用品。そう、当時は今のように豊富な品物が店頭に並ぶよりも、ちょっと前の時代だったのだ。スーパーと言うよりも、どちらかと言えばまだ「配給所」的印象。

 ほとんどはガラスケースの向こうにいる店員を呼んで取ってもらうスタイルで、お金の支払も手書きの伝票を支払い窓口に持って行き、レジスターのない机に座ったお姉さんがガコンと大きな印鑑を押し、それを持って品物のところに戻るという具合。"支払よりも先に商品が手元にある事"はありえなかった。

 次回は、そんな中国の「スーパーマーケットの変遷」についてお話しましょう。

 ~つづく~

(この物語はフィクションです。独断と偏見的解釈もあくまでストーリーとしてお楽しみください)

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