小林陽太郎 |
日米経済交流の中で重要な役割を果たし、中日のハイレベル交流の第一線で活躍している元富士ゼロックス社長ー小林陽太郎さん。今、新中日友好21世紀委員会の日本側座長を務めている小林さんは、長年中日両国の交流に携わってきました。
20年余り昔、富士ゼロックスが中国に進出したことが、小林さんが中国と縁を結ぶきっかけとなりました。(富士ゼロックスは、富士写真フイルムとアメリカのゼロックス・コーポレーションとの合弁会社であり、その中国進出は非常にドラマチックな展開でした。しかし、小林さんはこれまでの20年を振りかえって、特に困ったことはありませんでした。
80年代の中国では、経済メカニズムは計画経済から市場経済に変えました。経営理念と方式の上で、富士ゼロックスのような多国籍企業と比べ物になりませんが、経済発展によって、中国人は強い自信を築いてきました。この過程の中で、中国人の理念とやり方は、活力に溢れていました。中国人の姿は小林さんに深い印象を与えました。
ロンドン生まれ、ペンシルベニア大学を卒業、日米合弁企業で長年働くと同時に、日米経済協会の会長を務め、これらの経験により小林さんは日本の欧米系企業家の代表人物となりました。ところが、2003年小林さんは新中日友好21世紀委員会の日本側座長に任命されました。この委員会は、両国政府の政策顧問機構であり、中に置換の政治、経済、文化などの分野における協力と交流に助言します。この人選に対し、小林さん自身も意外だと感じていたようです。中日関係に対する見通しは、小林さんが任命された重要な要因の一つです。そして5年間たち、新中日友好21世紀委員会は両国の交流事業の中で大きな役割を果たしてきました。
両国の民間交流、特に青少年の交流を促すため、新中日友好21世紀委員会は中日友好基金会を設置しました。青少年たちの交流について、小林さんは、両国の長期的な関係発展にとって非常に重要だと見ています。
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