7月第一週の日曜日の6日に、静岡県西伊豆町白川町内会の主催により、中国人殉難者慰霊の集いが行われました。
今から64年前の1944年12月、中国河北省出身の中国人178名が日本軍によって白川町に強制連行され、明礬石の採掘に従事させられ、過酷極まる労働と餓えなどで、次々に死亡し、その数が82名に達したのです。
この慰霊の集いには、現地白川町の方々の他、三島、裾野等の市からも多くの方々が訪れ、静岡県で研修中の中国人20名余りも参列しました。
1942年11月27日、東条英機内閣は「華人労務者内地移入に関する件」という案件を閣議決定しました。これは、中国人を日本にまで強制連行して重労働をさせられた背景です。
聳え立つ慰霊碑、その前に一体の彫像が立っています。それは、今はなき堤達男さんの心を込めた作品です。堤さんは彫刻家として知られています。その制作への思いを次のように書いています。
「西伊豆町は夕日の美しいところです。西の空を真っ赤に染めて夕陽が海に沈む時、遥か河北省の家郷を思い、残された家族のことを思ってどれだけ悲痛の思いで頬を濡らしたか。私は作家として 人間の本性に根ざす苦悩と、悲哀と、慟哭の情をこの2メートルの立像の体内に永遠に封じ込め、戦争に対する痛烈な反省と懺悔の念を表現することに心魂を傾けてこの像を制作しました」。
彫刻家故堤達男さんが制作した日本で強制労働させられ、なくなられた中国人被害者の立像を前に、過去のことを銘記しながら、あのような戦争を二度と起こしてはいけないと参列した人々は皆、心の中で誓っているでしょう。
(文:張国清 整理:東)
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