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ナビゲーター 黄競
私は花
花の命は短いけれど
私の歌声は琥珀のように永遠のもの
この夢さえあれば、死んでも心残りはない
歌がきっと、私がこの世界にいたことを証明してくれるから
これは人気歌手・ベラ・ヤオ (姚貝娜)の「心火(炎に立ち向かう心)」の一部です。時代劇「宮廷の諍い女」の主題歌を歌ったことで知られている彼女は、今月16日に乳ガンのため、33歳という若さで亡くなりました。彼女はガンと戦いながらも、音楽の夢を開花させます。ファンは彼女を「崖の上に咲く花」と称え、その天使のような歌声はいつまでも生き続けるとしました。今回と次回の中国メロディーは、「崖の上に咲く花」ベラ・ヤオの物語をお話ししましょう。
軍隊の中の薔薇
ベラ・ヤオは音楽一家に生まれ、父親の姚峰は有名な作詞家です。彼女は9歳で初めて舞台に立ち、才能を発揮しました。16歳になると、父親のもとで正式に音楽を学び始め、大学卒業後には人民解放軍の専属歌手として活躍しました。2008年の全国青年歌手コンクールでは、素晴らしい声と圧倒的な歌唱力で最優秀賞に輝き、「軍隊の中の薔薇」と称えられました。この時、若いべラ・ヤオは病魔が一歩一歩彼女の元へ歩いてくるとはまったく思っていなかったでしょう。
ガンと戦う日々
2011年、順風満帆に見えたベラ・ヤオの音楽人生を突然、病魔が襲います。乳ガンは、彼女を人生の崖っぷちに追いつめました。ガンと戦う日々は、まるで戦争のように苦しいものでしたが、手術から化学治療に至るまで、彼女は涙を見せず、そんな前向きな姿がかえって両親を慰めます。化学治療によって髪の毛が大量に抜けた後も、彼女は思いきって頭を刈り上げ、坊主にし、いつも明るく元気に振舞います。
苦しい化学治療を経て、彼女の病状は大きく好転し始めました。手術から20日程経った頃、「宮廷の諍い女」の主題歌を収録し、彼女の美しい歌声はこのドラマのヒットによって世間に広まります。「病気が私にとって災いと言うのなら、この主題歌は災難から逃れた後に出会った音楽の縁でしょう」と彼女は語ったといいます。
不屈の精神
2012年、病み上がりのベラ・ヤオは復帰し、大人気の音楽オーディション番組「中国好声音」の出演で人気が爆発しました。この国民的な歌オーディション番組の舞台で、赤いTシャツとジーパン姿の彼女は、「也许明天(もしかしたら明日)」という歌を熱唱し、彼女の情熱溢れる声は多くの観客の心に響きました。特に、彼女が涙を流しながら歌ったクライマックス部分のソプラノは抑揚と瞬発力に溢れ、聞く人の熱い血を沸き立たせました。歌手・汪峰は「彼女のほっそりとして弱々しい体の中に不思議な力が宿っているようだ」と評価しました。
しかし、ベラ・ヤオがプロ歌手としてオーディション番組に参加することは論争を引き起こしました。彼女は人から何を言われようがまったく恐れはしないものの、他人の目の中の同情を嫌がりました。強靱な彼女ですが、自分が注目されるのは歌だけの理由で、病気であってほしくないと願いました。
番組の中でお送りした曲
1曲目~ 心火(炎に立ち向かう心)
歌は、ベラ・ヤオが病魔と戦う心の声を歌いあげました。
歌詞
悪魔と何回か戦ったことがある
残された日々が短いからこそ
本当になりたい自分とは何かを知った
心で立ち向かい、炎を乗り越えて
怖いけれど後には引けない
私を死にいざなうすべての力は
ただ私の闘志をかき立てるだけ
2曲目~ 惊鸿舞(蘇(よみがえ)る梅妃の舞)
この歌はべラ・ヤオが主題歌を歌った時代劇「宮廷の諍い女」の挿入歌の一つです。べラ・ヤオの歌声はこのドラマのヒットによって世間に広がります。「蘇る梅妃の舞」はそもそも唐の玄宗皇帝の妃・梅妃が空を舞うオオカリの美しい姿を真似た舞踊で、梅妃はこの舞踊で玄宗皇帝の寵愛を得たと言われます。「宮廷の諍い女」では、ヒロイン・甄ケイが「蘇る梅妃の舞」を踊る美しい姿が雍正帝を魅了しました。
3曲目~ 也许明天(もしかしたら明日)
この歌はベラ・ヤオの将来、人生と愛情への思いを表現しました。
歌詞
見渡す限りの海 終わりが見えない
波の中にいる私 愛情は浮いたり沈んだり
一日また一日 私を前へと運ぶ
もしかしたら明日 貴方も私と一緒に
潮の満ち引きを見ることができるかもしれない
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