ニンチェンタングラ山とガンディセ山の南、ヤルツアンボ江の中・下流に位置する山南地区はチベットにおいてもっとも豊かな土地です。ここはチベット族文化の発祥の地であり、チベット族の人々の心のふるさとでもあります。
チベットには次のような伝説が伝わっています。チベット族の始祖は修行中の神猿で、山南地区に暮らしていたそうです。山南地区の首府「沢当」はチベット語では「猿が戯れる場所」という意味です。
山南地区には悠久の歴史があり、チベットの歴史と文化の発展において、特殊な地位を占めています。雅礱江(がろうこう)流域に位置しているため、雅礱とも呼ばれていました。文献の記述や民間に伝わる伝説、多くの発見された遺物が立証しているように、数百万年前、チベット族の先祖はここに生活していました。
山南地区には有名な歴史文化遺産である雍布拉康(ユムブラカン)などの寺院があります。雍布拉康はチベットの歴史上に初めて建てられた宮殿です。紀元前2世紀に、第1世代のチベットの王様ニャティ・ツェンポ(聶赤賛普)のために建てられました。チベットの史上よく知られているソンツァンガンポ(松賛干布)と文成公主(ぶんせいこうしゅ)はここに居住したこともあります。ラサのポタラ宮が建設された後、ここは寺院に改築されました。
山南地区観光局長の話によれば、チベット語で「雍布拉康」は「メス鹿の後ろ足の形に似ている宮殿」という意味です。この宮殿の奥の山が走っているメス鹿の形のようで、そして、雍布拉康宮殿はちょうどその鹿の後ろ足に位置しているため、このように名づけられたのです。
雍布拉康寺には多くの精巧で美しい壁画が残され、ニャティ・ツェンポ王様の一生とチベット初の宮殿、初の耕地などについての物語を描かれています。現在、雍布拉康寺はチベット族が崇拝する聖地となっています。人々は山南に来るたび、必ず雍布拉康寺へ参拝します。
内地と違って、ここの建築に使用されている石塊は未加工のもので、その形は自然のままです。石と木で建てた雍布拉康寺はすでに2000年余りの歳月を経ていますが、依然として完全な状態で保存されています。これはチベットのその他の建築物に重要な影響をもたらしました。
また、山南地区の扎囊県のミンジュリン寺(敏珠林寺)は特徴のある寺院です。チベット仏教のネイマ派(寧瑪派)の大寺院で、17世紀の半ばに建てられたものです。この寺院の僧侶は天文暦法や医学、書道に精通しています。この寺院から選ばれた高僧はポタラ宮で僧侶の教育を担当しているほか、「チベット暦」の編集を行っています。その他の教派と違って、この寺院の僧侶は結婚と子供を持つことが許されます。
ミンジュリン寺は東向きの建物で、周辺は山や川に囲まれ、風景が非常に美しいところです。敷地面積は約10万平方メートルで、塀は多角形の形をしており、入り口の両側と屋内の壁に護法神の像がたくさん描かれています。寺院の住職の話によれば、毎年、チベット暦の重要な祝日には、チベット族の人々が各地から参拝に来るということです。
現在、青海や甘粛、雲南、四川などのチベット族の人々がここへ自分たちのルーツを求めてやってくるほか、世界各地の観光客が訪れています。(翻訳:トウエンカ)
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