1、前書き
郵政検閲月報は旧日本軍が中国侵略の時期、日本軍人、日本人移民、植民地の軍隊、政府要人及び一般中国人、宣教師、公使館と領事館の外国人の間の手紙、電報、電話、出版物に対して、検閲を秘密裏に行い、日本軍の暴行や戦争の実態を反映する内容を削除、没収、焼却、部分塗り消し、原文発送などの処理を行い、主要内容を月報の形に編集するものだということです。今回公開した450件の郵政検閲公文書は1937年から1945年までの日本語で書かれたもので、4.5万通の手紙が収録されています。そのうち、日本人の手紙が50%以上占めています。旧日本軍が郵政検閲を実施した地域は中国の東北三省(旧称:満州)、華北、華中、華南地域、更にインドネシアのジャワまで及びました。これらの手紙は、旧日本軍が放火殺人、強盗略奪の暴行を犯し、残酷きわまる空爆を実施し、ベラルーシ人の利用による極東地域侵略を計画し、秘密軍事工事を建設し、労働者を奴隷のように酷使し、化学戦争、ばい菌人体実験を行い、欺瞞移民政策、経済的に植民地を支配し、戦争嫌悪、死にたくない旧日本軍人の気持ちを暴露しました。郵政検閲月報は旧日本軍自身が作ったもので、手紙の内容はすべて日本の中国侵略歴史の目撃者が書いたものです。これらすべては旧日本軍の中国侵略暴行の動かぬ証拠となります。
2、第一部分、旧日本軍が放火殺人、強盗強姦の暴行を犯した証拠を発見
3、関東日本憲兵隊 司令部、中央検閲部1940年「通信検閲月報(7月)」。牡丹江市にいる湯原が鳥取県の清水寛一へ送った手紙の内容。町で女性を侮辱した日本軍人の醜い行為を書きました。日本人としての湯原でも「世界に有名な日本の兵隊がこんな姿であるかと思うと心細くなる」と嘆いた。処理方法は押収。
4、シナ駐屯憲兵隊1938年1月「軍事郵政検閲週報」。
永田部隊の村中栄は室蘭市エトモ小学校へ送った手紙で、自分が1937年12月に2回人を殺したことを書いた。恐ろしい殺人の細部まで書いた。書いた人はまさに「気持ちがいい」と述べた。
5、第二部分 旧日本軍が残酷きわまる空爆を実施した証拠を発見
6、関東憲兵隊司令部、中央検閲部1939年「通信検閲月報(九月)」。
アルゼンチン雑誌「Eバルトス」で重慶大爆撃期間中、1939年に3日間続いた爆撃で25人が死亡し、そのうち8人が子供と記録した。処理方法は押収。
7、第三部分 ベラルーシを利用し、極東地域を侵略しようと密計を立てた旧日本軍の証拠を発見
8、第四部分 旧日本軍が秘密の軍事工事を建設し、労働者を酷使した証拠を発見
9、関東憲兵隊司令部、中央検閲部1940年「通信郵政検閲月報(五月)」。
東安省東安大倉土木作業所の鈴木貞吉から東京の西野宝への手紙で、旧日本軍が東安で秘密の軍事工事を建設するという内容を書いた。処理方法は没収。
10、第五部分 旧日本軍が化学戦争、ばい菌戦争を発動した証拠を発見
11、第六部分 日本が欺瞞移民政策を実施した証拠を発見
12、第七部分 旧日本軍が経済的な統制を行った証拠を発見
13、第八部分 日本軍人の厭戦の証拠を発見
14、関東憲兵隊司令部、中央検閲部1940年「通信郵政検閲月報(五月)」。
東安黒岩部隊の朝助から沖縄県の母親への手紙。自分が軍隊での生活が嫌になり、母親に「母危篤すぐ帰れ」の電報を送らせ、家に帰りたいと書いた。
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