1995年から、王選さんは日本民間細菌戦調査団に参加しました。その時、彼女は通訳を務めました。王選さんは日本語が堪能で、浙江省の方言も分かるので、村人とうまく交流できるのは彼女しかいませんでした。調査が進むにつれて、王選さんは日本侵略軍が自分の故郷で行った細菌戦の歴史的事実がだんだん分かってきました。
王選さんの話によりますと、1942年ある日、日本侵略軍の戦闘機一機が崇山村の低空で飛行し、上空から村に白い粉末を投下しました。10数日後、村では、怖いペストが蔓延し、400人あまりの村人は病気に耐え切れず死んでしまいました。当時、村人はこの災難の原因が分からなかったです。その後。防疫部隊と称する日本軍は崇山村にやってきて、村民を人体解剖の実験にして、ペストに感染した村人の心臓などの臓器を取り出しました。
日本侵略軍の侵したこの罪は王選さんを驚かせました。第二次世界大戦後、日本政府はこの歴史を一生懸命隠蔽したため、日本侵略軍の起こした細菌戦の真相は殆ど知られていません。今生き残っている細菌戦の被害者と被害者の子供達は日本政府を訴えようと考えていましたが、どうすればいいか方法が分かりませんでした。村人は法律に詳しい王選さんを信頼しているため、彼女を浙江省、湖南省などの地域の180人からなる被害者訴訟原告団の団長しました。
1997年8月、2年間の準備を経て、王選さんは細菌戦被害者180人を代表して、初めて東京地方裁判所に入り、日本政府を被告とする裁判を起こしました。そして、日本政府の中国人被害者に対する謝罪と、賠償を要求しました。記者にインタビューに対して、王選さんは日本政府を裁判にかける目的はこの細菌戦の真相を明らかにしたいと述べました。王選さんは、「細菌戦という罪はほかの戦争犯行と違って、これは極めて罪悪性の高い罪である。この問題は中国と日本がいかに解決するか、世界の人々は注目している。しかし、この問題はまだ解決されていない。日本政府はいまだにその罪を認めていないし、また公開すべき資料もまだ公開していない。これほど人道に違反した罪はまだ解決されていないのは、中日両国関係では、頭の上に掛けられた刀と同じで、落ちると双方に大きな傷をもたらす」と語ってくれました。
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