中国選手と私のロンドンへの道
シンクロナイズスイミング・コーチ 井村雅代さん
オリンピックイヤーの今年、中国代表を率いて、ロンドンで新しい歴史を作るべく、選手と共に頑張ってきた日本人コーチがいます。
シンクロナイズドスイミング中国代表の井村雅代ヘッドコーチです。
過去には日本代表を率いて、6回オリンピックに参加し、6回とも参加した全種目でメダルを手に入れた井村コーチは、日本代表での仕事が終った後、中国の招きに応じて2008年の北京オリンピックに向け中国代表のヘッドコーチを務めました。そして、北京オリンピックでは、チーム競技で中国のシンクロに初のオリンピックメダルをもたらしました。
北京大会に続いて、2度目の中国代表のヘッドコーチに就任した井村さんは今回のロンドンでは、デュエットで銅、チームで銀という中国代表にとって史上最高の成績を上げることができました。
オリンピックの終了に伴い、井村さんの中国代表での仕事も任期満了となりました。ふるさとの大阪に戻る前、北京にいる中日両国のサポーターたちが集まり、慰労会を開きました。席上、CRI日本語部はトークショーの形で、井村コーチにインタビューをしました。その時の録音を今回と次回、2回に分けてお届けします。
井村コーチがロンドンオリンピックに向け、中国代表とともに歩んできた道、そして、胸中の思いを聞いてきました。
■中国方式で喜びを味わう
――ロンドンから北京に戻って一週間経ちましたが、どのように過ごしましたか。
まず驚いたのは、バスに乗っても、その辺を歩いていても、「花样游泳の教练ですね」(シンクロのコーチですね)と言われて、「中国に良い成績をとらせてくれて、謝謝!」とたくさん言っていただいたことです。それから、びっくりするぐらいたくさんの食事会やパーティーに呼ばれて、中国の喜びを中国方式で味わわせていただいた一週間でした。
――8月17日に、人民大会堂で解団式が行われたようですね。
そうですね。びっくりしたのは、中国の国の首脳陣が全員揃って現われたことです。メダリストが並んだところ、一人一人と握手して回りました。頑張りを称えることに関して、中国は素晴らしいなあと思いました。
■「私の選手」とのお別れ、「鬼」のコーチの目にも涙
――シンクロ中国代表の選手たちのミニブログで、「私の選手へ」と題した井村コーチ手書きのお手紙が掲載されています。
それは私が生まれて初めて中国語で書いた手紙です。
選手たちは解団式の翌日にそれぞれ故郷に戻ります。実はその前の日(16日)が私の誕生日で、選手たちは素晴らしいパーティーを開いてくれました。その時に皆さんから送られた誕生日カードには、きれいな日本語で「お誕生日おめでとうございます」と書かれていたのです。それを見て、私も書かなくちゃと思いました。
ちょうど、今までの思いをちゃんと話したかったのですが、もう言ったら話にならないので、手紙を書くことにしました。
でも、こんなのを載せるんですか。知っていたら、もっと綺麗な字で書いたのに(笑)。
井村コーチが選手の皆さんへの手紙
(大意:【私の選手へ】ロンドン五輪に向けて、毎日の厳しい訓練の中で、選手の皆さんやコーチたちも涙を流したり、負けそうになった自分と戦っていたことも何度もあったそうです。最後の最後まで皆さんが私を信じて、あきらめずに、良くついてきてくれました。皆さんのロンドンでの演技は最高に素晴らしかったです。良くまとまった一つのチームになりました。一人一人を私は誇りに思っています。中国のコーチとして二回のオリンピックに参加でき、世界と戦うことができた私は幸せなコーチです。私の62歳の誕生日は忘れられない素晴らしい誕生日でした。ありがとうを何度言っても足りないぐらい、皆に感謝しています。さよならと言ったら、涙が止まらないので言いません。必ず会いましょう)
――本当にきれいな字で書かれています。辞書を引きながら書かれたのですか。
書きたい内容をまず日本語でざっと書きました。それから通訳の方を呼んで一緒に相談しながら中国語に直したのです。中国の漢字って、簡単化されてるじゃないですか。一字一字間違えずに書き上げるには、1時間半かかりました。
――皆さんとのお別れは名残惜しく思っていますか。
中国は出身地の「省」の絆が大きくて、ひとつの中国のチームにすることは、日本人から見れば考えられないような大きな問題です。それが、今回のオリンピックでは、9人の選手は本当に「オール中国」の一つの素晴らしいチームになりました。
いただいた新聞の中には、選手たちが抱き合っている写真があるんですけど、その写真が大好きで、もしかしてそんなチームを作るために、私がやってきたのかなと思いました。その写真が私の一生の宝物です(涙)。
――井村コーチは訓練が厳しい 「鬼の監督」として知られていますが、本当は涙もろい方なんですね。
■中国シンクロの新しい歴史を作る!
――ロンドン五輪で「中国シンクロの新しい歴史を作る」と意気込んでいたのですが、それは井村さんが掲げた目標だったのですか。
今ある自分を超えて、次を目指すというのは、スポーツだけではなく、生きている人生においても非常に自然なことなんです。
――ロンドンに出発するまで凄まじい量の練習をさせたようですね。
そうです。それはびっくりするほどの練習でした。上海でトレーニングをしていた時、朝の7時45分から練習が始まり、長い時は夜の9時半まで。それが10日サークルで1日しか休まない。
中国の選手は体のストレッチと同時に口もストレッチしているほどおしゃべり好きなんです。その彼女たちが、プールサイドに現れても、何も言わない日が何日も続いたほど練習しました。
今回の大会は、私にとっても、過去7回の五輪出場で得た経験を全部集めた大会でした。
五輪開始の一年半以上も前から、私は中国水泳連盟に五輪に向けての日程を暇があれば言い続けてきました。コーチ派遣の数以外はすべて私を信頼して、私の言った通りにスケジュールを組んでもらいました。その点、中国水泳連盟に非常に感謝しています。
■一番乗りで入った選手村 試合開始までの日々
――ロンドンではシンクロ中国代表は最初に選手村に入ったチームのようですが、試合の日までどのように過ごしていたのですか。
シンクロは競泳と違って、水の深さ、水の柔らかさと硬さ、水の色、天井の景色、みんな演技に関係があるんですね。中国代表は昨年7月の上海世界選手権で出場権を得たのは良かったですが、今年4月にロンドンで行われた最終選考会には出られなかったわけです。それはつまり、オリンピックの試合プールで泳げていないということなんです。
だから、選手村に一番乗りで入らせてくれと頼んで、それで公式練習に臨みました。ロンドンでは、彼女たちを試合時に心地よい緊張で泳いでもらうよう、いろんな場面で練習を展開させました。
陸上動作をするステージはこんな感触だよ、飛び込んだ時に10メーターのラインにはこんな柄があって、横に向いたら、12メートルのところに水中窓があって、15メートルのところに縦のラインが入っていて、それを全部教えたわけです。ジャッジの席があって、その端まで行ってみんな教えました。
会場の観客席はものすごい高いので、今までの視線は低すぎるわけです。会場の視線にちゃんと合うように全部変えました。
中国選手って、すぐに"明白了、明白了"(分かった)と言うわけ。あまりにも簡単に言ってくれるので、信じられなくて、三回ぐらいダメ押しをして繰り返してやらせました。あんまり何回もやるので、向こうも驚いたと思います。それで3日間練習をして、プールを全部把握させました。
――そうやって準備を整えて、開会式を迎えたのですね。
開会式は私は毎回参加させてもらっています。開会式で中国の国旗の下を歩いて手を振ったらね、オリンピックのスケールと、どれだけ多くの人の注目の的なのか、瞬時に分かるんですよ。それで大きな素晴らしい試合に来たんだという、今度はプレッシャーではなくて、良い意味の興奮に入るわけです。
大会が始まってから試合用プールでは競泳競技が始まるので、私たちは選手村を抜け出して、サニーユニバーシティのプールに行って、公式練習でだめだったところを詰めていました。シンクロの試合は5日から始まるんですけども、その3日前の2日に選手村に戻りました。もう試合はすぐそこまで来ていました。いい感じでもってくることができました。
■「腹立たしい」デュエットの結果 アジアは団結せよ
デュエットで銅メダルを獲得した劉鴎・黄雪辰ペア
――デュエットでは、中国代表は予選を二位で通過したものの、惜しくも決戦では0.03の僅差でスペインに抜かれ、3位になりました。
私はデュエットは三番じゃなく、二番でも良かったと思います。
決勝の時、中国の選手たちはスペイン、ロシアの選手より先に出場して、予選よりも良い点数に上がったんですけども。スペインの結果が出た時、「あ~、やられた」と私は長いコーチの経験ですぐにわかりました。ヨーロッパの審判員が団結して、スペインを応援したということです。あれは確かに、結果はどちらに転んでもおかしくない試合でした。ですけれども、せめて零コンマ零何ぼで中国は勝っていただろうとと私は思っています。
あれで負けた時、私は自分自身にすごく腹が立ったんです。それはきっと私は日本人だったからと思うんですけど、アジアが一つになっていたら、中国のデュエットは絶対二位になりました。だから、あの時、私はアジアが団結していなかった悔しさがすごくあって。
ヨーロッパは団結しています。弱かったら国と交流して、助け合っている。アジアでシンクロが強いのは中国、日本と韓国です。なぜもっと日本が中国、韓国と手を繋いで、アジアのレベルを上げるためにリーダシップがとれなかったのだろう。日本人だからかも分からないけれど、すごく自分に腹が立っていたんです。
――ところで、デュエットの銅メダルは中国にとって、この種目で取った初めてのメダルでもあります。
表彰式の時、皆さん「ありがとう」「ありがとう」とおっしゃいました。あんまり言われたので、「私はいま怒っているんです。すごく怒っているんです。最低でも二番になってもいい演技をしたのに、予選では二位、決勝でひっくり返された。ヨーロッパは団結してスペインを応援した。ロシアは旧ソ連の国々が応援していた。中国の選手は、中国一人で戦っているみたいなんですね。だから、私は腹が立っているんです」と言ったら、中国水泳連盟の李会長から「先生、本当に自分たちはうれしい。これはね、中国のシンクロの新しい歴史をあなたが作ってくれた、ありがとう」と言われて、その時、「そういえば、オリンピックのデュエットでメダルをとったことない」と初めて気がついたんです。でもやはり腹が立つなと思ってたんですけど。
しかし、その時、私が一つ本当に驚いたことは、デュエットの表彰式が始まった時に、ほかの7人の選手がみんな泣いているのを見たことです。悔しくて。
私は中国のチームを連れて、たくさんの国際試合に参加しましたけれど、デュエットで優勝して全員が喜び、負けて全員が泣く姿は残念ながら今まで見たことがなかったんです。それが表彰式が始まる前から、全員が真っ赤な目をして泣いているんです。それにはびっくりしました。そういう泣いている彼女たちを見た時に、初めて中国は一つのチームになったと私は思いました。(つづく)
(聞き手:王小燕 )
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