7年前、語学留学という名目で北京へ留学中、余暇授業の一環でたまたま見ることになった作品は、忘れもしない、彼が演出した作品だった。その時は、まだ言葉は半分もわからなかった。しかし、首都劇場の隣の小劇場で、留学生のクラスメートたちと一緒に、興奮しながら見たのをよく覚えている。比較的若い役者たちが、エネルギッシュに演じていたのだ。音楽もほとんど生だったと思う。中国にも、こんな演劇空間と、若い演劇人たちがいるのだと、心が熱くなったのだ。その劇こそ≪恋するサイ≫(中国名、恋爱的犀牛)という、中国の小劇場演劇を席巻したといわれる作品だ。
その後、その作品も再演を重ね、孟京輝は中国の若い観客層を名実ともに広げ、今や中国の若い演劇ファンの旗印と言ってもいい存在になった。
その後、彼は名前だけで観客を呼べる俳優を使い、保利劇院など大きなホール公演も行うようになったが、私はやはり、彼の作品は中小劇場でみたい!という思いが強い。観客と役者がダイレクトにぶつかり、さらにエネルギーを生み、役者と観客を育てていく、今回、彼の再演作を観劇し、中国の若いエネルギーを大いに堪能した。
孟京輝は現在、北京の東直門に自分の作品を公演し続ける蜂巣劇場という常設の小屋をもっている。彼の作品を堪能するのに最適な大きさの劇場である。そこでは主に、若い役者を使い月曜以外ほぼ毎日公演を行っている。若い観客は買い物帰りにいつでも小屋に足を運べるという利便性のいい場所で、時間も7時半開演、休憩なしの1時間半、9時頃には終演。今の時代、ちょうどいい長さであった。
さて、肝心の作品紹介であるが、今回見たのは、「イタリアが生んだ万能の演劇人」といわれるダリオ・フォの作品≪あるアナーキストの思いがけない死≫である。
物語の舞台は、あるイタリアの警察局の中。警察局長と警官たちがあるアナーキストを死なせてしまったところから始まる。局長は一人の精神病患者を招き、そのアナーキストの死亡過程を演じさせる。最後にはその、患者の演劇遊びに警官たち皆が引き入れられる・・・というのが大まかな筋である。
フォは、歌、パントマイム、アクロバット、ブラック・コメディなどの要素を取り入れた演劇活動を通して、痛烈に社会を風刺してきた。1997年には、演劇人としては史上初のノーベル文学賞を受賞している。フォの作品は、喜劇的な精神を最大限に生かしつつ、現代的なテーマを巧みに織り込んで「強い政治性を持ちながら、一級のエンターテイメントでもある」という稀有な性格をもっている。
そんな点が、孟京輝を引きつけたのかもしれない。なにしろ、彼の演出する作品の特徴は言葉遊びとエンターテイメント性にある。日本で言うと、野田秀樹のような言葉のロジック・・・まだ孟京輝の方がわかりわかりやすいかもしれないが・・・。
私が今回、一番感じた大きな収穫は、とにかく役者のエネルギーである。前回見た違う作品の中とは大きく違う。何がどうしてこうなったのか、とにかく素晴らしい役者たちの成長ぶりである。この作品の初期をDVDで見たことはあるが、やはり生の舞台にはかなわない。最初の出だしから引きつけられた。一瞬の隙もないリズムとパワーで、ぐんぐん観客を引き込み、今の若者が抱える社会の矛盾やひずみを代弁しているかのように、患者が最後の幕を引く。
やはり、常設の舞台をもち、若い才能のある役者を毎日舞台に立たせることの大切さを実感した。中国の秘められたパワーを体感した1時間半であった。いつか、野田秀樹と孟京輝が舞台の上でであったら、どんな創造的な舞台が生み出されるのだろうか?その時にはこの若い役者たちが存分に活躍して見せてほしい!と夢を膨らませた今回の舞台であった。
5月2日まで、東直門近くの蜂巣劇場にて上演中、ぜひお運びあれ!(取材:畠沢優子)
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