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「任秀」

2010-12-23 13:23:47     cri    

 申竹亭ははじめは途方にくれたが、しばらくして落ち着きを取り戻し、早速任建之の荷物を空けて金を探し出し、銀十両で棺おけをかって、亡骸を入れたあと首をかしげた。

 「任さんはいい人だったが、義兄弟の契りを結んでまだまもない。それに家族も私ら二人のことは知らない。ということは、知っているのは私だけか!そうだ、それにこんな遠いところから彼の家まで行くのは遠すぎる。ということは・・」

 こうして申竹亭は、縁起が悪いから、早く棺おけを持ち去るよう催促する宿屋の親父に銀一両を握らせ、これから人を雇いにいくと言い残し、自分は任建之の持っていた銀二百両の半分をもらい、残りは棺おけに入れたあと、宿を離れどこか行ってしまった。

こうして任建之が旅先のこの町で死んだことは、それから一年余りたってから家族に知らされた。もちろんそれまで家族は一家の大黒柱が旅に出て帰ってこないので、あわてて方々さがしたが、わからなかったのだ。

 さて、当時、任建之の息子任秀は17歳で、まだ塾で学問に励んでいた。しかし、父が死んだというので陝西に行って父の亡骸を持ち帰ろうとしたが、まだ若いのでこれ以上何かあると大変だと母が止めた。これに任秀はどうしてもいくと泣いて聞かない。これに母も折れて、一人の親戚をつかせ旅に出した。こうしてそれから半年後に、やっと父の遺骨を持ち帰り、それを近くの墓場に埋めた。

 任秀と家族は貧しい暮らしを余儀なくされたが、母はそれでも家計をつめ、任秀を塾に通わせ続け、任秀も一心に学問に励み、後に県の学問所のようなところに進んだ。しかし、そのときから彼は人が変わったように遊びだし、賭博を始めた。これを知った母は何度もひどくしかりつけたので、任秀はおとなしく首を縦にふったものの、暇があるとやはり博打を打った

 ある日、その学問所で試験があったが、それまでいつも筆頭だった任秀は五番目に落ちてしまった。これに母は怒り、三度の飯を食わなくなった。驚いた任秀、あわてて母の前に跪き、きっと改めるから飯を食ってくれと頼んだ。こうして任秀は学問にまた励みだし、年末の試験では一番の結果が出た。そしてそれが飛び切りよかったので、朝廷から出たという少しの手当てを受けられることになった。そこで母は塾で先生の仕事をさせたが、町の人は任秀の人柄を信じなかったので、毎日教える子供は数人だけだった。

 ところで、張瑞という任秀の父の従弟が都で商いをしており、この年の秋に用事あって山東を訪れ、ついでに任秀の家に立ち寄った。そして甥の任秀のことを聞いた後、塾がつまらなきゃ、都に遊びに来ないかと誘った。これを聞いた母は難しい顔をしたが、当の任秀が是非行きたいというので、母も死んだ夫ととても仲がよかったこの張瑞に息子を連れて行ってもらうことにした。

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