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チベット発展に一生心血を注いだアポ・アワン・ジクメー氏

2010-01-01 11:29:56     cri    

 チベット地方政府と中央政府がチベットの平和解放協定に調印したことをこの目で証言したアポ・アワン・ジクメー氏が12月23日この世を去りました。享年100歳。彼の100年の人生はまるで一冊の本のようです。若い部落長からチベット地方政府の官員に、そして、首席交渉代表から国家の指導者に成長したストーリーは興味深いものです。そして、彼は時代の大きな変革に身を投じ、チベットの天地を覆したような変化を体験し、その目で見てきました。

 アポ氏は1910年、チベットの貴族の家庭に生まれ、若い時代から貴族官員になりました。1949年10月1日新中国成立後、チベット解放は祖国を統一する重要な一歩となりました。1950年初め、中央人民政府はチベット平和解放の方針を打ち出し、代表を派遣して中央政府とチベットの平和解放について交渉するようチベット地方政府に呼びかけました。1951年2月、アポ氏はチベット政府の首席全権代表に任命されて北京へ赴き、中央人民政府と平和交渉を行いました。同年5月1日、アポ氏がメーデー・国際労働節を祝うイベント式典の参列を要請されました。毛沢東主席は天安門楼閣でアポ氏と会い、歓迎の意を示し、「われわれは一つの家族だ。家のことは相談をしながら行うのがいいでしょう。交渉の成功を望んでいます」と語り掛けました。

 長期にわたってチベットの歴史研究に務めてきた中国チベット学研究会歴史研究所の楊雲研究員は、「当時、アポ氏の特殊な身分と断固とした立場によって、チベット平和解放協定の調印が促進された。当時、アポ氏は旧チベット地方政府所属の昌都地区の高官で、共産党の率いる人民解放軍と直接、接触した代表でした。そして、昌都戦闘、また、中国共産党との接触を通じて、共産党の民族政策、宗教政策をより深く理解するようになり、チベットにとって中央政府の重要性をも一層認識しました。同時に、旧チベットの没落と自分の役目の重要性も十分に意識し、長期にわたった誠意のある交流と話し合いを通じて、平和解放協定に調印するという重大な問題を解決した」と語りました。

 アポ氏を首席代表とするチベット地方政府代表団と中央人民政府は交渉を繰り返し、非常に民主的かつ友好的な話し合いと協議を通じて、最終的に各問題ついて意見の一致に達し、1951年5月23日、『中央人民政府とチベット地方政府のチベット平和解放に関する協定』に調印しました。この協定は主に17ヶ条からなっているため、『17カ条協定』と呼ばれています。こうして、チベットが平和解放されました。

 しかし、チベット平和解放協定の調印は、当時のチベットの農奴制度の現状を改めることができませんでした。1951年から1959年まで、チベットで民主改革が行われる期間中に、旧チベット貴族の保守派は海外の分裂勢力と結託して、『17カ条協定』の実効を妨げようとしました。アポ氏の率いるチベット政府は激しい闘争を繰り広げ、チベット社会の平和発展に努めてきました。

 中国チベット学研究所の楊雲研究員はこれについて、「『17カ条協定』の調印はもちろん重要だが、それを実際に移すのはより重要だ。アポ氏は団結を維持する立場を堅持すると共に、各方面の意見を中央に反映し、問題の協調にも努め、チベット貴族と統一戦線を結ぶ面で非常に重要な役割を果たした。アポ氏は民主改革に対し、非常に積極的で、支持する態度を取り、民主改革がチベットを救ったと認めた。百万の農奴の解放だけではなく、さらなる実質的な問題、つまりチベットの出口がどこにあるか、全民族、チベット、チベット族が今後いかに発展していくかを考慮していた。民主改革、旧制度の転覆はチベット人民に新しい希望をもたらした」と語りました。

 1952年2月、中国人民解放軍チベット軍区が成立したとき、中央軍事委員会はアポ氏をチベット軍区第1副司令官に任命し、また、1955年には中国人民解放軍陸軍中将の肩書きを授与しました。アポ氏はチベット駐屯人民解放軍の生産と生活に非常に関心を寄せ、彼らと密接な連携を保ち、国防を強固にし、国境を守るためになすべき貢献をしました。

 アポ氏は長期にわたってチベット自治区の主要責任者に務め、第3期、第4期、第5期、第6期、第7期の全国人民代表大会常務副委員長を歴任しました。国家指導者に就任してから、偉大な時代の変革に身を投じ、中国のたえまない繁栄と富強、チベットの進歩に尽くしました。

 新中国成立後、重要な時期には、中国共産党と国家の指導者もアポ氏と会見し、活動の重点について検討し、意見を求め、誠実に付き合い、友情を結びました。

 楊雲研究員の話によれば、アポ氏の一生は波乱万丈で、重大な歴史変革を体験しました。彼はチベットの発展に関心を寄せ、国家の統一、民族の団結を維持し、本質的な問題で是非を究明し、明確な立場と指導者として風格を示しました。

 2008年ラサでは3・14暴動事件が発生後、99歳の高齢になったアポ氏は特別記者会見を行い、談話を発表し、暴行を非難すると共に、分裂と分裂に反対する闘争は長期的で、複雑なもので、十分な思想準備がなければならないと指摘しました。分裂勢力がいかなる方式と手段で、祖国統一、民族団結、社会安定を破壊しようとしても、失敗に終わるに違いないと強調しました。

 チベットの発展に一生をささげたアポ氏は100年の歳月の道を歩みました。今日のチベットでは社会が安定し、人民の生活レベルが絶えず向上しています。チベットの未来はより素晴らしくなるでしょう。それこそ、百年の人生を送ったアポ氏にとって一番好ましいことでしょう。(翻訳:トウエンカ)

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